それがノスタルジーへと変わる前に

「音楽やってる人はかっこいい アイドルやってるコはかわいい とか あれから何年が経ったんだっけ 時々自分がわかんなくて それすらも当たり前になって 久しぶりに君と話したいね なんて思ってる 電話はしないけど」

コンビニアイスのゴミ

これまでしばらく合わなかった人と会うことが最近多い。昔付き合っていた人、演劇で同じ仕事をしていた人、大学で一度授業が一緒だった人、高校で姉妹クラスだった人、合計で5人。2ヶ月で5人、しかもそれまで連絡等取っていなかった人とサシで飲んでいたのでなかなかすごいと思う。

 


大学職員やりながらアイドルのおたくとしてバンバン遠征行ってる人、6年制大学を卒業してそのまま博士課程に進んだ人、将来小さい定食屋をひらきたいと言う人、制服のおたく、会社員やりつつバンドマンやってて最近アイドルのおたくになった人。

自分の知らないところで他人が人生を歩んでいるということが当たり前のようだがとても美しく思える。その人にとっての物語があって、その物語は様々なことを抱えていて、それが目の前の人によって語られる。SNS等でなんとなく知っていた人がそうしてSNSに表出しない出来事、感情を語る。会うことのなかったこの数年感をお互いに埋めていくその時間は、僕ら2人が共有していたあの頃に戻ることはできないということを突きつけつつも、ノスタルジーをまといながら光り輝いているようで好きだ。

 


今日もまた、部活の同期たちと飲んだ。僕含め4人だったが、変わっていないという感想を持った。とてもありきたりな感想だが、ありきたりな感想だからこそいいのではないだろうかとも思う。

人はそれぞれ、その人だけの文脈に乗っかって生きていると思っている。だからしばらく会ってない人に会う度に見かけ上の諸々のは変わるけれど、「君はずっとあの頃の延長で生きているんだ」と思うんだよな。

 


今日の飲み会の話に戻ると、みんな先輩やら後輩やらの情報を仕入れていたり、上司として新人を指導してて尊敬している。僕が先輩やら後輩と会ったりしてないだけなのだが、上記の尊敬の念は根本で共通していて、それは自分が「先輩」「後輩」、「上司」「部下」みたいな、その社会でのすべき振る舞いをどうしてもできないという人間であるという部分である。本当にそういう社会に与えられる役割に、嫌悪感まではいかないけれども、それに似た「これは無理だ」という感情があってできない。というのも、たかだか生まれについて、数年の時間差で敬意を持たれたり持たねばならない文化がよくわからないのである。人は苦しみながら生きていくし、結局人生の行き着く先は誰もが一緒だ。「そういうもの(先輩へは敬意を持つ)」というのは文化なんだと分かるが、「それは本質か?」と問う自分も同時に存在している。その結果が僕という中途半端にしか役割を演じられない人間を生み出している。

その結果、自分を可愛がってくれる先輩も、強烈に慕ってくれる後輩もいない、フワッとした存在であり続けた。今思えば小学生の頃から先輩とかそういうのはできていなかったな。

今もそれは変わらない。奇跡的に営業とかそういった仕事をしなくていい仕事をしているが、世の中の営業をしている全ての人には頭が上がらない。あなたたちがいるから僕が営業をしなくてもいいんだ。自分は本当に営業というものができないと思うし、尊敬している。

 


こんな不適合な人間を呼んでくれた同期とか、サシで飲んでくれる人々、本当にありがとうなという気持ちになる。

 

 

 

今日は同期との飲み会で会計のお釣りで「みんなでアイス一つずつ買おう」というイベントが発生して、その時は良い提案だと素直に思った。

たしかにそこに学生時代を見た気がする。駅までアイスを4人で食べながら歩いていると「青春みたいじゃん、もうあの頃に戻れないけど」と一人が呟いた。コンビニアイスを咥えた仕事終わりの若者4人が、銀座駅に向かって歩くというそのコントラストがとても美しかった。

自分はみんなのゴミを持たされた訳だが(こういう役割は受け入れられる)、駅のゴミ箱に捨てられずにいる。きっと家まで持ち帰ることになるだろう。

 

 

 

このアイスのゴミは、青春の残滓だ。

 

 

「疑似恋愛」への後悔

2019年4月29日。改元まであと2日。改元と比べたら、些細な出来事に過ぎないけれど、僕にとっては改元よりもずっと大きな意味のある出来事だった。その出来事について、ここでは書き残す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


アイドルとファンの関係は疑似恋愛だ。

 

 

 

そう言われることがある。これは、現代のアイドルとファンの関係性を指摘する際によく言われることだ。

 


僕はこの考えに反発してきた。違う、僕は他のおたくとは違う文脈で好きだ。そう、心の中で唱え続けてきた。

それは、自分がそれまでおたく文化の文脈の中にいなかったこと、そしておたく文化の文脈とは距離を置いて、疑似恋愛でない、人間対人間の、一対一の関係を尊重してきたと、自分に言い聞かせるためだったと言える。

自分はおたくが忌避するところの陽キャラの文脈で生きてきた、だからおたくたちの文脈とは相容れないおたくなのだと、そう思っていたかった。

 


しかし、果たして私という人間は、「疑似恋愛」という、アイドルのおたく文脈の中にいない人間なのだろうか。

それを解き明かすためには、まずは自分にとっての「恋愛」について振り返る必要がある。

 


ここでは一般的に言われる「恋愛」には言及しない。それに言及するためには、先行文献に目を通す必要があるからだ。

私という存在とアイドルという関係を「疑似恋愛」という言葉を媒介に紐解くためには、世間一般で言われる「恋愛」よりも、私にとっての「恋愛」についての方が重大であるからだ。

 


僕にとっての「恋愛」というのは「物語と物語の交差」であると思う。

僕は傾向としては異性が恋愛の対象となる。

しかし振り返ってみると、性別はあまり関係ないように思える。きっかけはともあれ、相手の物語に僕は魅力を感じるからだ。どれだけ相手の物語を受け入れ、相手の築いてきた物語に強く「私」という存在を位置付けられるかが、それが僕にとっての恋愛の本質であると思う。

相手の物語を知るには、形としての恋人関係とは違う関係性を築く必要がある。「友達以上恋人未満」という言葉が象徴するように、恋人に満たない恋愛対象の属性を持つ者との関係を「友達」という関係で捉える傾向がこの社会にはあるが、僕にとってはその線引きは正直なところ、ひどく曖昧だ。「友達以上恋人未満」という言葉の線引きは、この社会では英語でいうところのloveとlikeとの差でなされる場合が多い。しかし、僕にとってはそれらを区別する決定的な事項がよく分からないでいる。

極論を言えば、その人の物語について詳しく知り、その人の物語の中で僕という存在を位置づけることができたならば、性別も年齢も超えて、誰とも恋愛関係を形成できると思っている。好きと思ってもらえれば、(そういう経験はないけれども)世間一般で言うところの恋愛(ここでは異性性と同年代性を持つものを指している)にとって決定的な性別や年齢という属性が欠けていても付き合えると思う。僕にとっての「恋愛」というのはそれだけハードルが低いものである。

 

そもそも論ではあるが、自分にとって「友達」「恋人」の枠組みはふさわしくなくて、マルティン・ブーバーが『我と汝・対話』で言うところの「我−それ」「我−汝」の枠組みの方がしっくりくる。しかし、ここでは混乱を承知で「恋愛」という枠組みを使う。しかし僕が指すところの「恋愛」とは実質的には「我−汝」の関係性であることは明確にしておきたい。

気力がないので、「我−汝」については説明をしないよ。読みたい人は読んでみてね。少し難しいけれど、「友達」「恋人」の枠組みに何らかのモヤモヤを感じる人にはなんらかの発見があると思う。

 


ここまで、僕の恋愛についての指向性、つまり一般的に言われる「友達」と「恋人」の境界の曖昧さについて解説してきた。

ここからは、とある映画と、その映画を介した、関根ささらさんのここまでの物語、そして今日の出来事について言及する。

 


僕は、ひどく自分を貶め続けた時期があった。あれは2014年、大学2年の秋の出来事だった。その時は毎日学校の授業や、部活の取材(大学の体育会系の部活動を扱うスポーツ新聞部だった)に向かう、駅のホームに立つ度に「電車が来たときに一歩踏み出せれば死ねるんだ」と思っていた。人生で一番、死が身近だった期間だと思う。今考えれば明らかにうつなんだろうと思うけれど、ちょうど同じ時期に、部活の同期がうつ病で連絡がつかない状態で、それもあってうつ病だと認めたくない気持ちもあり、休んだりできなかった。

その時に救いとなったのは『アバウト・タイム』という映画だった。この映画を観たから僕は死を希求する、感情の暴走を止めることができた。

 


『アバウト・タイム』を簡単に説明すると、タイムスリップできる能力を持った主人公がその能力を持ってして、自分の人生の後悔を取り戻そうと過去にさかのぼる映画だ。

 


この映画は、救われたいという藁にもすがる思いで観たとき以来、そのメッセージに心を動かされ、映画館で3回ほど観た映画だった。最初は小さい映画館でしか上映のなかった映画だが、徐々に上映館を広げていって、新宿ピカデリーのような大きな映画館でも上映していた。なかなか長い期間上映していた気がする。

今でも年に一回は観る映画である、それほど好きな映画だった。

だから、この映画には他のどの映画よりも特別な本当に思い入れがある。『アバウト・タイム』という映画なくして僕の人生は語れない、と言えるほど思い入れのある映画だ。

 


その映画を僕が2年前、つまり修士課程の学生としての駆け出しのときに、当時毎週のように現場に通っていた放課後プリンセスの関根ささらさんにDVDをプレゼントしたのだ。なんとなく、彼女の感性に合うような気がしたから。

その映画について、当時深夜のラジオに出演していた彼女が、与えられたお題について即興でトークをするという企画の際に彼女が言及してくれたのである。

僕は当時早朝のアルバイトをしていたのでリアルタイムでは聴けなかったのだが、アルバイトが終わった後にTwitterを見てみると、当時仲よくしてくれていた、推しかぶりのおたくが教えてくれたのは覚えている。その日彼女に会いに行って、その映画の話をしてくれたことについて話した。現場から家へと帰る前に行きつけの中華屋でその番組の録音を後で聴いて、心が震えた。

僕が彼女の感性をある程度知った上でオススメした、僕を救ったとまで言える映画について、彼女が「良い映画」として言及していたのである。「関根ささら」という好きな人の物語の中で、僕の救いとなった作品が強い光を持っているんだと。その事だけで、本当にそれまでの人生への後悔が消し飛んだ。

誇張なく、生きてて良かったと、心から思えた瞬間だった。

 

 

 

僕は大学院の研究やら、世間一般で言うところの恋人ができたことで、長らくアイドルの現場から遠ざかっていた。行くアイドルの現場といえば、大学時代の友人の行きつけの現場、そして恋人の好きなNegiccoの現場だ。年に数回現場に行く程度だった。

いつからか、自分の気持ち、つまり関根ささらさんを優先することはなくなっていた。自分の周りの人たちの興味を優先してきた。

 

 

 

そうして、最後の接触から約2年近く経った。

2019年4月29日。しばらく現場に自発的に通わなかった沈黙を破って、関根ささらさんに会いに行ったのだ。習慣とは恐ろしいもので、行くことを決めてもなお「帰るのもアリだな」と思っていた。しかし、そんな日常から離れて何かしらの言葉を持ち帰りたいと言う思いが、秋葉原へと足を運ばせた。

場所は秋葉原ソフマップ、2年前は毎週通った場所だった。8階まで辿り着く。いよいよ開演だ。

 

 

 

「あの暑い夏を また思い出して」

 

 


そう始まった曲は「アツはナツい!」だった。夏の淡い恋を回顧する曲だ。

そういえば、最後に関根ささらさんに会ったのは2017年の夏の個別の特典会だった。あの日は、太陽の照りつける暑い日だった。僕はボイスメッセージをお願いした。赤の浴衣を着た関根ささらさんが、もうすぐ誕生日の僕に、お祝いの言葉をもらったことを覚えている。

それを誕生日の日の朝に起きて、ベッドで聴きながら一人幸せな気持ちに浸っていた。

そんな日々を思い出しながら、ライブを観ていた。

 


2曲目は、「バカだね」という曲だった。

一曲目を観て、その歌詞と自分の物語を重ねて心が痛かった。やっぱりステージに立つ関根ささらさんは特別だと思った。気品あふれる笑顔は相変わらずステージを明るく照らしていた。ダンスも歌も格段に上達している。現場に通っていた当時とはメンバー構成も大きく変わっていたが、関根ささらさんは名実ともにリーダーに相応しかった。

忙しかったけれど、環境も変わったけれど、あれほど好きだった子に、なんで会いに行かなかったんだろう。そんな後悔に似た感情がぐるぐる頭を駆け巡った。

「失ってから大切だったことに気づくなんて、バカだね」というメッセージを持つこの曲に、自分を強く重ねた。

‎こたろーの「2019.04.29放課後プリンセス定期公演」をApple Musicで

 

 


現場から離れて、もはやおたくともほぼ縁のない普通の生活を送っていた。しかし、心に引っかかっていたのは関根ささらさんについてだ。

それは、環境が色々と変わってしまったゆえに疎遠になってしまい、自然消滅した恋人に対するような、なんとも表現し難い、気まずさと後悔が混ざり合ったものだった。「ごめんなさい」や「ありがとう」も、何も決定的なことを言えずにフェードアウトしたことによるモヤモヤしたあの感情だ。

それがアイドルのおたくなのかもしれないけれど、僕はこれまで推しの卒業以外で推しとの関係を切らせたことはほとんどなかったので、この感情への対処の仕方がわからず、ただ日々を過ごすしかなかった。

 


しかし、その心の引っかかりをどうにかしたくて、今日は秋葉原ソフマップへと足を運び、ライブを観て、関根ささらさんにお会いすることができた。

個別トークの時間は、本当に素敵な時間だった。それこそ、まさにこれまでの時間を取り戻すかのようだった。長らく現場に行かなかったからこそ出てきたであろう言葉が2人の間で交わされた。詳細は書かないが、彼女のくれた言葉は、僕の抱えていた、気まずさと後悔の混ざり合ったモヤモヤした感情を吹き飛ばすには十分すぎた。

僕はかつて、「関根ささら」という物語に寄り添い過ごした。しかし、同時に(たまたまであるが)彼女もまた僕の物語に寄り添ってくれたんだと、その時に改めて感じた。

僕の物語と、関根ささらさんの物語が、再び交差した瞬間だった。

そこには最初に出会って、認知してもらい、(推しとおたくとしての)関係を深めていく時のような勢いのある感情はない。穏やかな感情が二人の間には横たわっていた。「また会いに来て」「また会いにいくよ」と言葉を交わして、会場を後にした。

 


帰り道の電車の中で、似たような感情になったことを思い出した。高校時代にお付き合いしていた人と仕事後に会った。彼女もまた研究をしていて、お互いの研究のことを話していたが、最後には好きな小説について話していた。高校時代からお互いに趣味は変わっていなかった。お互いのこれまでの物語を確認して、「また会おう」と言い合い、それぞれの帰路に着いた。お互いが疎遠だった期間のことについて伝え合っただけの、穏やかな楽しい時間だった。

 

 


この感情に、なんの違いがあるんだろう。

たしかに、推しと恋人とでは明確に表面的な形として関係性が違うのは分かる。でも、根底に流れる感情にはあまり差がないのではないだろうか。

 


僕にとっての恋愛とは「物語と物語の交差」だ。そして、「相手の物語を受け入れ、相手の築いてきた物語に強く私という存在を位置付けられるか」というところに僕は恋愛の本質を見いだしている。

それを考慮したならば、僕にとっては「推しとの間で、恋愛関係を築いていた」と言えるのではないだろうか。

 


しかし僕と推しの表面的な関係性の形は恋愛関係とは異なる。基本的に、おたくは現場に足を運ばなければ推しとの関係性を継続できない。推しがステージを降りないかぎり、いつも離れていくのはおたくの側だ。アイドルとそのおたくの関係性においては、一般的にはアイドルの方に主導権があるように見られるが、実態としてはおたくの方がその関係性を継続するか否かの判断がある。おたくはアイドルよりも関係の継続という点では圧倒的に強い。

恋愛関係というのは一般的に2人の力関係が対等であるべきだ。それを念頭に置いてアイドルとおたくの間の関係性の継続における力関係の非対称性を見るに、やはりアイドルとそのおたくというのは「恋愛関係」とは呼べないんだと思う。

 


「疑似恋愛」なのだ。

 

 

 

 


僕は修士課程を無事に修了し、4月から会社で仕事をし始めた。

自己紹介をする機会が数多くある。

好きな映画を聞かれたときには必ず『アバウト・タイム』と答えている。

職場にある自己紹介のカードにも記載した。

その話をしたときには必ず、関根ささらさんのことを思い出す。

気まずさと後悔の混ざり合ったモヤモヤした感情は、もう胸に浮かんでこない。

 


ときに人は失敗し、後悔し、過去に戻ってもう一度やり直したいという気持ちになることがある。

しかし、現実にはそんな能力を持つことはできない。

人間が過去の出来事について、できることは認識を変えることだ。

その後悔やら失敗を、違う視点から見てポジティブなものへと認識を変容させることができる。

 


現場に足を運ばない期間があったからこそ、出会えた言葉が、感情が、あるんだと僕は思う。

 

 

 

 

 

 

 

 


「現場に足を運ばない期間があったからこそ、出会えた言葉と感情」を、長々とここに綴ってきた。

あとがきとして、この記事において見落としがちな前提があるので、ここではそれついて述べたい。

 


地下アイドルが活動している。多くが女性で、平均年齢は21.6歳。活動を始め「卒業」していくまでの年数は約3年だという。

「なんとなく」地下アイドルを選ぶ少女たち “やりたいことなんてない”と承認欲求のあいだ | ハフポスト

 

 

関根ささらさんが放プリユースに加入したのが2015年なので、4年間続けていることになる。

そして何より、メンバーの入れ替わりがある程度ある放課後プリンセスというグループで活動を続けているというのも特筆すべき点だろう。丁度世代交代なのだろうか、僕が2年前に通っていた頃のメンバーは関根ささらさん含め3人しか残っていない。

この2年で関根ささらさんは確実にお仕事の幅を広げたと思う。彼女の努力や仕事への想いが、彼女が長くこの仕事を続けているということに繋がっているし、それは今回ブログにした、僕が再び彼女に会いに行くことができたことの見えない前提として存在している。

 

最後に、関根ささらさんに言いたいことがある。

「続けていてくれて、ありがとう」と。

 

 

 

 


ブログを更新する前、気づいた。

思えば、平成最後の3日間は関根ささらさんのことばかり考えて過ごしていた。

いつか、平成最後の、この時期を思い返すことがきっとある。その時にきっと思い出すのはこのブログで書いた出来事なんだろうな。

 

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この間、数年間封印していた写ルンですを現像した。

2年前の関根ささらさん。

愛とは技術で、そして意思の力だ

昨日、元推しが再びステージに立った。髪型、頭の形が似ていたが、まるで別人のような出で立ちだった。青の照明で暗闇に薄く照らされた後ろ姿を見て、まさかと思った。そのまさかだった。

別人に見えたその人は非常にステージ慣れしていて、その振る舞いから半ば彼女だと確信したが、公式にツイートが出るまで半分は信じられないでいた。

 

彼女については、そのアイドルとしての在り方に一目置いていた人間も多かったように思える。そのファンの中には元々そのグループのファンではない人たちも含まれていた。僕も楽曲は知っており、好きでいたが、ライブに足を運ぶことになった直接の理由は彼女の存在だった。

彼女がステージを降りてからも彼女の名前を口にするおたくはいたし、そういう意味では期待に応えた形か。

彼女もこの空白の二年間に、それらの声を見て決断したことだろう。当時学生だった彼女は、この二年間、何を思い、悩み、3月16日、渋谷WOMB のステージに立つ決心をしたのだろう。それらについては彼女の口から語られるかもしれないな。

 

2年前、恋人もいなかった自分は、持ってるリソースをおた活に全振りしていた。学生でそんなに稼ぎもないのに毎週毎週現場に通って、チェキを撮り、お話しして、お手紙を渡したり。そのオタ活を維持するためにめちゃめちゃシフト増やしてたな。おたく始めてから注ぎ込んだお金を全部貯金にまわしていたら、きっと大学院の学費なんて自分で捻出できたはずだ。恋人も作れただろう。でもあの時の自分にとっては、恋人でなくアイドルという存在が必要だったんだと思う。一般的に理解されにくい時間やお金の使い方だけれど、そうして得た経験は、今の恋人に対する振る舞いであったり、文通相手との距離の取り方だったり、そういったものに還元されていて、確実に今に活きている。アイドルとは僕にとって、「好き」を煮詰めた存在であるので、偶像的かつ、抽象的な存在である。だからこそ、友人であったり恋人であったり、自分が好きだと思う人との関わり方に対するヒントが得られる。「愛は技術だ」と言ったのはエーリッヒ・フロムだが、人生にアイドルのおたくの経験を位置付けるとしたら、この言葉を添えたい。

 

で、そんな大学時代を費やして推していた彼女がステージに戻ってきて嬉しいと思うのが普通なんだろうけれど、この二日間、ずっとモヤモヤしていた。

それは、きっと当時のような推し方ができないことに由来してるんだと、別れてからジャニーズのオタクになっていた元恋人と話していて思った。もう恋人もいるし、勉強ももっとしないといけない、でも元推しがステージに戻ってきたわけだから自分は推したい。その感情の揺れを、葛藤を、恋人ができてからというもののずっと抱えてきた。それを改めて提示された訳で、それには自分なりの答えを出していかなくちゃなと思わされた。

今日飲んだ元恋人は僕の上記一連のモヤモヤを聞いて、「応援は義務になったらダメ」をおたくとしてのモットーとしているという話をしてくれた。これは聞いたこともある話で理解もしている話だが、改めてそれを聞いてハッとした。別に元推しにとって自分はそんなに大きな存在ではないし。ただ、「情」とか言われたりする類の気持ちなのかもしれないが、彼女を素敵に思う気持ちは残っているわけで。おたくとしての自分と生活者*1としての自分のバランスについては、これからまた模索していかなくちゃなと思う。

「応援は義務になったらダメ」と警鐘を鳴らしてくれた元恋人、なんでこうして飲んだりしているのも不思議だが、おたくとしての自分についてモヤモヤしていた自分に、考える道筋を立ててくれたという点で感謝している。人は必要な時に必要な物語と出会うのだ。

 

こうして改めて考えると、社会人として生きていながらおたくをしている人たちというのも同じような問題にぶつかっているはずだ。そう考えると、おたくやっている人を尊敬するばかりである。生活者としての自分に潰され、おたくとして死ぬことは往々にしてある。自分も現在おたくとしては棺桶に片足を突っ込んでいるようなものだ。しかし、やっぱりおたくが自分の推しについて語っている時の瞳は輝いて生き生きしているし、自分に今足りていないのは推しの存在だったと、松島聡くんについて熱く語る元恋人の姿を見て思った。それゆえにやっぱりうぉーうぉーとぅーみーさん、関根ささらさんのことは、自分なりに、生活者としての自分とのバランスをとりながら推していきたい。この二人がいなくなったら、おたくとして死んでもいいなと(今は)思っている。

 

人だったり作品だったり、何かを継続的に好きでいる、つまり何かを愛するというのは、愛というのは感情ではなく、むしろ意思の力であると僕は思っている。

 

うぉーうぉーとぅーみーさん、おかえりなさい。

 

 

*1:家、学校や会社など、おたくとしての自分と関係ない場面における自己

「人生」といえばすべて人生

提出した論文はひどく恥ずかしいもので、案の定コメント担当の先生からボコボコにされた。

「学位論文に相当しない」という旨のコメント(実際はもっと婉曲的だったが)もあり、ただただ耐えて耐え抜いた質疑の時間。全発表者の中でも特に厳しいコメントを受けた。きちんと返答できているか分からないが、学位をかけている点で一歩も引けず、あの間延びした空気の中で、非常に白熱した議論が展開されていたと思う。

質疑まで終わると、聴衆は形式的な拍手をするが、自分の質疑終了後にはその拍手が始まるまでに間があった。先生の指摘が学生を潰しにかかってきているものだったから、その間には「あ、こいつ学位落とすんだろうな」という嘲笑と同情があったと思う。発表資料を画面から消すために目線を落としたときに感じた、他の発表者のときとは明らかに異質なその間を今でも思い出せるし、きっとこれからもその時のことは忘れない。公開処刑を受けるとはまさにこのことか。たしかに勉強が足りないとは思うし、まだまだ未熟だったと思う。これまでの時間の使い方、特に研究以外のことをしていた時間について後悔した。

その発表の場にいたお付き合いしてる方*1からも「論文とかそういうのはその人の性格が出る」という観点から厳しいお叱りを受けた。本当に学位取れないんじゃないかと思い、ふさぎこんだ。次の日は朝起きてソファでぼーっとしていたら夕方だったし、曖昧にお酒を飲んで「自殺 苦しくない」みたいなワードでググったりと、非常に危ない状態だったように思える。密閉された空間で練炭を燃やした上で、睡眠薬を服用して寝るという合わせ技があるらしく、自殺の方法としてこのような合わせ技があることには目から鱗だった。

 

ただ、自分には死ぬほどの勇気もなかったので、こうして文章を書いている。

 

いざ成績が公開されると、論文は高くも低くもないごく平凡な評価がつけられており、問題なく卒業できていた。それは審査会での指導の先生のディフェンスが大きかったんだとは思うが、中には「面白い研究だった、ついにこの分野にこういう研究が出てきたか」と評価する審査員もいたとか。あの公開処刑はなんだったんだろうかという気持ちになった。

ただ、これが学問なんだろうなと改めて思った。文句のつけようのない研究なんかなく、どんな素晴らしい研究と言えど、ケチをつけようと思えばケチがつけられる。特に自分の研究している分野は、方法論の部分ならいくらでもツッコミを入れられるだろう。「なぜこれを選んだのか、検討が不十分」とか。数々の批判を受けながらも、論理的に返答し、自分の論(主張)を守り抜くことでそれが認められていくことになる。これらは概念としては理解できていたが、直接的な経験で知ることができたという点で、良かったなと思う。そう思わないとやってられん。

 

「何かに対して見方や立場が違えば正反対の評価がされることがある」という、ここまで話してきたようなことについて、僕はTwitterだと「人生じゃん」みたいに表現することがある。任意の事象に対して「人生じゃん」と言ってしまえば、達観している感じや、示唆的なことを言った感じを醸し出せるので非常に便利なTwitterレトリックだ。

*1:「パートナー」という言い方も、なんかしっくりこないような気がする。概念としてはそれに相当するのだろうけれど、なんか“「彼氏/彼女」を使わないのよ、私は”みたいな、思想性が強く出てきているような気がする。いまや「パートナー」はその関係性に対するニュートラルな表現でなくなってきている感じがして、好きじゃない。

鬱々と文章書いて、気づいたら推しの話してた

先日、ゼミをサボった。

論文提出まであと1ヶ月というタイミングで、進捗もダメなのですが、休むしかなかった。人間関係を保つのが苦手。月一回とか会う程度ならいいけれど、週一とかそれ以上の頻度で顔を合わせて、関係を良好にやっていくのがどうしても無理。ある程度やっていく関係性の型も用意されているのに、それをやれば良いことも分かっているのに、肥大化した自己がそこに馴染むことを拒む。

中学までは絵に描いたような優等生だったなあと思う。野球部で成績優秀、人柄も良いように振舞っていたと思う。高校、大学でそういうのってどうなの、無理してるんじゃないのみたいになって、そういう振る舞いも辞めた。そういう振る舞いを今もできていたら、今頃どこかの会社で営業とかやってたんだろうな。

でも今現在仲良くしてる人たち、今の馴染めない自分じゃなかったら仲良くなってないなあと思うし、まあいっか、という気もするな。

 

なんて、一日自分の部屋で考えていた。仮病(という名の心を壊さないために必要な休日)で休んだりしていたらどこかいったり、非日常を楽しんだ。先日、休んだその日はずっと家で過ごしていた。せっかく休んだのに、非日常にすらできなかったな。

 

 

そうそう、最近いいこともあって。好きな人(アイドル)こと関根ささらさんがシロカ株式会社のイメージキャラクターになりました。

シロカ株式会社

 

YouTubeで動画も公開されているので見てね。できたらチャンネル登録もお願いします。

www.youtube.com

 

 

オススメの家電はこちらです。電気ケトルとしても、小さい鍋としても使えて、結構いいのでは?と思っている。おたくなんですけれど、レビュー記事とか書いてみたい。

おりょうりケトル ちょいなべ│シロカ株式会社

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おりょうりケトル ちょいなべ

 

ついさっきまで憂鬱な気分でこのブログ書いてたんですけれど、関根ささらさんのこと書いたら元気出てきたので、推しに向ける好きって最高の感情じゃないですか。もう頻繁にライブとか行かないともうけれど、何か自分にできる応援の仕方はあると思っていて、模索していきたいなあと思う。

まあ、その前に論文終わらせないといけないのでまた明日から頑張ろうかなあと思った。

 

すごい情緒不安定なブログ書いてるし、話の振り幅もすごいのでタイトルも変えなきゃ

生みの苦しみ

終わった。一般人の推しの進級のための論文、研究計画書の作成が、終わった。最後の最後までチェックして、引用文献参考文献の抜けがないかチェックしていた。焦りに焦って、半ば喧嘩しながらやっと終わった。進級できるかどうかはわからないけれども、自分にできることはやったんじゃないかと。

自分の勉強してるものと対象も違うので、その言葉を理解するのも大変だった。何より、自分でない人間の考えを汲み取りながら日本語を訂正していくのは想像を超えるきつさがあった。一度にその作業をしていくのは3000字ぐらいの文章だったが、先述したことを考慮しながらチェックし、訂正していくのに、2時間はかかるのだ。

 


研究なんて高尚なことのように思っていたが、実際いざやってみると、一連の材料を揃えた後は、時間に追われながら苦しんでアウトプットする作業だった。

きっといろんなものがそうやって生み出されているんだなあと思う。

何かを一つの形として作り上げる人は、そうやって何かを作っているんだなあと思うと、なんだかその人に対しての解像度が高まる。自分の好きな音楽とか、小説とか、映画とか、それらを作る人も似たような苦しみの中にいるんだろうなと思う。

 

特に書きたいことがないのでまだまだ頭は疲れているんだと思う。手紙も書かなきゃ。
論文手伝うことによる苦しみから解放されたおかげで、自分の論文も終わった気になっているけれど、まだ何も終わってもないし、そもそも始まってもいない。あと1ヶ月。

自分が自分であるが故の苦悩

最近ずっと聴いてる曲に、お気に入りのフレーズがある。

 


「生まれ変わる なんてなくて 地続きの日々を歩くだけ」

 


何か目の前に開かれた新しいものを見つけて、救われるような、そんな感覚を覚えることがある。

振り返ってみると、いつもそういうものに向かって進むことを是としてきた、気がする。そこに向かって進めば、今までの自分とは全く自分になれて、これまで感じてきた、自分が自分であるが故の苦悩から救われるのではないかと。

しかしその道を選んだ先には、生まれ変わるなんてことはなくて、ただ自分が自分であるという、これまでの延長の日々があるだけだった。

自分が自分であるが故の苦悩は、自分が自分であるためには必要なものだと思うし、そういうものには環境が許す限り向き合っていきたいと思っている。これが全ての答えだと思ってる。そして何より、この答え自体もかなり自分らしい、気がする。

 


先のお気に入りのフレーズは、こう続く。

「気取らず衒わず自然でいるだけ」

 

https://youtu.be/2b3j3mwA1ZI