それがノスタルジーへと変わる前に

「音楽やってる人はかっこいい アイドルやってるコはかわいい とか あれから何年が経ったんだっけ 時々自分がわかんなくて それすらも当たり前になって 久しぶりに君と話したいね なんて思ってる 電話はしないけど」

卵が先か鶏が先か

気づいたら感情が馬鹿みたいにでかくなっている。アイドルのおたくやってた時からそれなんだけど、それまではそんなんだったっけ。

馬鹿みたいにでかくなった感情の行き場、文章を書く以外にない。それはノートに書き殴ることだったり、手紙を書くことだったり、ブログを書くことだったりする。これは大学時代に身につけた習慣だな。

 


今夜は小、中、大と同じ学校の友人としゃべろうということで友人の勤務先のすぐ近くに来ている。3年ぐらい前の夏に、夜通し人生とか芋とかについて話し合ってたな。それを最近よく思い出してるんだけれど、そのタイミングでTwitterでリプライもらっちゃって、すぐに予定合わせたよね。友人の仕事が終わるのを待っているこの時間で適当に書けたらなと思う。

 


若い男女のグループがハロウィンのコスプレして、僕の座ってるカウンター席の斜め後方に座っている。ハロウィンの夜、渋谷とか大変そうだなと思ってTwitter見てた。渋谷からここまで来たんだろうな。学部の頃はよくこういう楽しそうなグループ見るたびに、斜に構えることをしていたな。自分はそういう俗っぽいところにはいないんだとか思ってたり、他者を下に見ないと自分を保てなかったんだろうな。今は特に何も思わないというか、楽しそうだなあとしか思わない。楽しそうだけど、ああいう場にいても端っこでTwitterいじったり、気の合う数人で話したりとかして、自分好みの空間を作ってばかりだ。大人数で楽しくやるのに向いてないんだよな。

最近は斜に構えることに対して斜に構えるようになっちゃって、きっと数年経ったら斜に構えることに対して斜に構えるということに対して斜に構えるようになってると思う。卵が先か鶏が先かみたいな話だが、きっとずっと斜に構えてるんだろうなと思う。

斜に構え続けた先の人生に何があるんだろうとか思うけど、きっとどこに行ってもそう、自分好みの空間を作って生きてくんだなあと思う。

最近は卒業が近づいてて、進路を、人生を模索しているので思考が人生レベルにすぐ拡大するな。

そう、今夜は友人と久しぶりに話す日だからこういう思考の癖がついてて丁度いいぐらいだと思う。