それがノスタルジーへと変わる前に

「音楽やってる人はかっこいい アイドルやってるコはかわいい とか あれから何年が経ったんだっけ 時々自分がわかんなくて それすらも当たり前になって 久しぶりに君と話したいね なんて思ってる 電話はしないけど」

しゃべり場

友人と会ってきた。ちょこちょこ会ったりはしていたが、最後にがっつり話した(夜通し話した)ときから3年経つけれど、当時と同じようなことを続けていて、それについての苦悩を話してくれたりして、よかった。友人もまた、巨大な感情と戦っていた。

「物語」とか、そういう視点からの話を分かってくれる人がいるというのはありがたいことだ。少しばかり、荷がおりた気がするな。ネットの海にすら放流することが憚られる言葉や感情をアウトプットできる場があるという、外界という意味での世界に対する安心感が増したので素晴らしい時間だったのではないかと思う。


昨晩友人が薦めてくれたマンガを買った。「薦めてくれた」とかいう穏やかなものではないな。「これは君の課題図書」とまで言ってたから。感想文書いて提出したり、内容合致させる問題が定期テストで出たりしないので、気楽と言えば気楽だ。夏あたりから、自分の感情や物語に適切な本やらマンガに出会っているので、乗ってみようと思う。基本的にその友人の選書はいいところを突いてくれるので。


昔、おたくがアニメの舞台となった場所に行くこと(聖地巡礼)について朝の情報番組で紹介していた。その時は特になにも思わなかったけど、今の自分を考えると、自分もある意味で聖地巡礼するタイプの人間なんだと思う。

物語を感じた相手の読んだ本や観た映画、聴いた音楽とかを追体験して相手に近づきたいと思うタイプ。物語を感じた相手のタバコを吸って黄昏るタイプの人間だ。

行為としては「聖地巡礼」と本質的には変わらないな。


文通相手が海外旅行に行くというので、写ルンですを渡した。丁度文通相手の誕生日もあったので、誕生日プレゼントということで、自分が現像に出して、プリントしたものやそのデータを渡してあげようということで。

現像されたものを見たけれど、フラッシュを焚いていないっぽくて、何枚か真っ暗だし、全体的に暗くべったりした色合いになっている。文通相手その人を知っている(つもりになっている)ので、「らしいな」と思った。

きっといつか、プリントした写真を持ってその国に一人で行って、現地の人に「これはどこですか」とか聞いて、聖地巡礼してるんだと思う。

 

そう、プレゼントといえば、ホームプラネタリウムがオススメだと。自分からの光が、相手の生活空間に写し出されることの意味について熱く語ってくれたのを思い出す。覚えておこう。

ラジオの周波数を合わせるように、愛をチューニングするみたいな話もしたな。


今日はこれから用がいくつかあるので、帰ったらゆっくり心を落ち着けて課題図書を読もうと思う。