それがノスタルジーへと変わる前に

「音楽やってる人はかっこいい アイドルやってるコはかわいい とか あれから何年が経ったんだっけ 時々自分がわかんなくて それすらも当たり前になって 久しぶりに君と話したいね なんて思ってる 電話はしないけど」

green line of death

iPhoneの液晶の緑色の縦線が目立ち始めて、数ヶ月が経つ。確か夏の終わりあたりから目立ち始めた。調べたら初期不良らしく、「green line of death」と呼ばれているらしい。
はじめはピンク色の薄い線で、それから徐々に『マトリックス』的サイバーな緑色へ、今では丁度1文字分ほどの太さに成長した。
この線のおかげで連絡取ったりするのにも支障が出始めた。物理的な破損や水没がなければ無償交換してくれるらしく、今日が交換する日。いよいよこの緑色の線ともお別れか、そう思うと少し悲しくなってきたな。

 

この緑色の線に何を思い入れているのかと思うのだが、思えばこの緑の線は「平成最後の夏」とともにあったな、と。

 

「課題図書」を読むと、「どちらの物語が真に欲しいか」と問われている、そんな気がする。夏に散々繰り返した問いも、今では日常に埋もれてしまっていた。「課題図書」はそれを掘り起こしてわざわざ目の前に突きつけてきたわけだな。
昨日のゼミで指導教授から「君の夢は何かね。君の進路はそれでいいのかね。このままいくと君は今手にしているものを失うよ」的なこと言われちゃったな。表現は濁しているけれど、最後の一文、改めて文字にしてみるとかなりめちゃくちゃなこと言ってるし失礼だな。脅迫じみた言い方してるのはお酒の席だったし大目に見るとして、詰まるところは自分の教え子が欲しいんだろうと思う。
私はいずれ博士号取りたいなあと思っているので揺らいでる。別に大学の先生になりたいわけじゃないけれど、博士号は欲しい。

というか、そもそも「自分の夢」とは何だったろうか。

 


拝啓人生様

寒くなってきました。あなたが最近迫ってくる選択、一つ一つが重いので手加減してほしいです。夜は一層冷えますので風邪をおひきにならぬよう、暖かくしてください。

2018.11.3  私より

 

 

あと数時間もすれば緑色の縦線が入ったiPhoneに別れを告げる訳だが、少しばかり感傷的になってしまうな。もちろんきちんとバックアップもとってあるし、大切な写真等を失う訳ではあるまいし。
ここまで書いて、先日夜通し話し合った友人が機種変更に感傷的になってたブログ書いていたのを思い出した。そのブログに引っ張られている気もする。

同じ物語の上に生きるというのは、美しいと思う。自分は3年前とは違う物語の上にいて、一方で3年前と同じ物語の上に生きている人間もいる。星が無数にあるように、物語を照らすものはその気になればいくつも作れるはず。その中でたった一つの星を追い続けている。そういう、人としての在り方が美しくある人間が報われる世界であってほしいと、願っている。

 

そうそう、緑色の線の入ったiPhoneを見て「何かを象徴してるみたい」と、先日会った友人は言っていた。


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写真は先日のしゃべり場帰り、始発待ちのホームにて