それがノスタルジーへと変わる前に

「音楽やってる人はかっこいい アイドルやってるコはかわいい とか あれから何年が経ったんだっけ 時々自分がわかんなくて それすらも当たり前になって 久しぶりに君と話したいね なんて思ってる 電話はしないけど」

アイドルと本屋

心がモヤモヤしているので、ブログを書いてからまた勉強してみようと思う。

 

先週あたり、ずっと心が沈んでいた。誰かの意見に流される事が多かった。結局自分は自分でしかないという、いつものところにたどり着いたので、やっていくしかない。

 

 

軽率に「かわいい」「好き」とか言いたくなってしまっている。軽率にそういう事言えるの、おたくの特権。アイドルのおたくからは離れて生活していて、でもやっぱりおたくやってた頃の癖みたいなのが残っているなあとしみじみと思う。

アイドルを好きになってみて、自分がどういう人間なのかということについて、自覚的になれたのは大きい。どういうことかといいますと、まあこのブログ見てる人はほぼ100%Twitter経由してきているのでわかるかと思います。そういう人間です。

アイドルのおたくにもいろんな人がいて、いろんな形で「好き」を表現している。その中でどのように在るかというのはその人らしさが出るよなと思う。あと、たまたま仲良くしてくれたおたくたちが似たような価値観を持っていたのもよかったな。本当にいい影響を受けた。

あと、手紙というものについて、改めて考えさせられたなあ。学生だし、社会人の方のようには特典券積むことができなくて、だからこそ手紙に思いの丈を書いた。「手紙を読んでもらっている時間は自分のことを考えてもらっているから、実質接触」って考え方、超好き。せっかくなら読んで、嬉しい気持ちになってもらいたいじゃんね。だから基本的に「好き」とか「僕にとって君は最高」みたいなところを目がけて書くように意識していて。iPhoneのメモには下書きを入れてて、電車の中とかでずっと文章を練っていた。

なりゆきで今は文通する人がいて、同じようにiPhoneのメモに下書き書いて、電車の中とかで修正したりしている。流石にその手紙の表現として目指す内容は違うけど。だから自分の文章の熱量が狂ってるんだよなーと思うけど、「せっかく読んでくれるのだから」という意識が離れないな。

アイドルという存在は自分の人生に影響を与えているなあと思った。大学生活の約半分がアイドルのおたくだったので、そりゃ影響与えてるわな。

 

 

 

話変わるけど。

 

note.mu

 

これ読んでから、昔から漠然とあった「いつか小さい本屋やりたい欲」が増幅し続けている。

いつかやってみたいよなあと思う。お洒落な街ではやりたくなくて、町の小さな本屋を趣味みたいな感じでやってみたいなあって。

「どんなコンセプトでやろうかな」とか考えたりしている。

いつかやりたいねえ。