それがノスタルジーへと変わる前に

「音楽やってる人はかっこいい アイドルやってるコはかわいい とか あれから何年が経ったんだっけ 時々自分がわかんなくて それすらも当たり前になって 久しぶりに君と話したいね なんて思ってる 電話はしないけど」

生みの苦しみ

終わった。一般人の推しの進級のための論文、研究計画書の作成が、終わった。最後の最後までチェックして、引用文献参考文献の抜けがないかチェックしていた。焦りに焦って、半ば喧嘩しながらやっと終わった。進級できるかどうかはわからないけれども、自分にできることはやったんじゃないかと。

自分の勉強してるものと対象も違うので、その言葉を理解するのも大変だった。何より、自分でない人間の考えを汲み取りながら日本語を訂正していくのは想像を超えるきつさがあった。一度にその作業をしていくのは3000字ぐらいの文章だったが、先述したことを考慮しながらチェックし、訂正していくのに、2時間はかかるのだ。

 


研究なんて高尚なことのように思っていたが、実際いざやってみると、一連の材料を揃えた後は、時間に追われながら苦しんでアウトプットする作業だった。

きっといろんなものがそうやって生み出されているんだなあと思う。

何かを一つの形として作り上げる人は、そうやって何かを作っているんだなあと思うと、なんだかその人に対しての解像度が高まる。自分の好きな音楽とか、小説とか、映画とか、それらを作る人も似たような苦しみの中にいるんだろうなと思う。

 

特に書きたいことがないのでまだまだ頭は疲れているんだと思う。手紙も書かなきゃ。
論文手伝うことによる苦しみから解放されたおかげで、自分の論文も終わった気になっているけれど、まだ何も終わってもないし、そもそも始まってもいない。あと1ヶ月。