160921 シー・イット・ナウ vol.4 @新宿LOFT
まさかね、こんな早く解散なんて言葉を使うことになろうとは思わなかった。
【お知らせ】#校庭カメラガールツヴァイ #コウテカ2https://t.co/0Q4NPeMhCw
— tapestok records (@tapestokrecords) 2016年9月20日
自分が好きなグループが解散すること、自分が一番好きだって思ってるタイミングで解散するのはアイドルを好きになって以来初めてだ。
自分はどうやって終わりと向き合っていくんだろう。
そんなことを考えながら、こうしてブログを書いてる。
今日書くのは解散発表後初めてのライブのこと。ひたすらにコウテカ2らしくないライブだった。あんな雰囲気のライブは二度とないし、残しておきたいと思った。
コウテカ2の出番が始まる前、ヤなことそっとミュートさんがステージに立っていた。4月27日に産声を上げた若いグループ。「ロックサウンドに切ないメロディーに乗せて歌」う*1彼女たちのパフォーマンスは圧巻で、明るい未来に向かって進んでいるように見えた。解散が発表された後だからか、そんな対比をしてしまい、思わず涙。
解散発表後一発目のライブ。どんな言葉を語るのか、メンバーはどんな表情でパフォーマンスをするのか。
きっとみんな同じことを考えながらライブが始まるのを待っていた。
もるちゃんがDJブースに入る。続いて、とぅーちゃん、ららちゃんがステージに現れる。
一曲目はCurtain Callだった。とぅーちゃん、ららちゃんはDJブースにいるもるちゃんの方を向いたままこの曲中一度も客席を向かなかった。*2
「これはきっと大切な歌になる 今日はきっと大切な一日」
自分たちに言い聞かせているようだった。彼女たちが、解散へ向けて歩き出した瞬間。
激しいライブは影を潜め、ミディアムテンポの曲が並ぶ。個人的な感想になるが、好きな曲ばっかりで俺得なライブだった。
曲名だけ上げても分かる人にしか分からないだろう。でもこの日のライブについて伝えられることは、コウテカらしくない落ち着いたライブ*3だったということ、解散を前にして曲中の幾つかの言葉が強い輝きを放ってこと。
解散まで、あと何日だろう。彼女たちはあと何回、ステージに立てるだろう。僕はあと何回、彼女たちに会えるだろう。
最後まで、できる限りで精一杯応援していきたい。今のコウテカ2が好きだ。
さいきょうの布陣
— しゅがしゅ らら@コウテカ2 (@lala_sugarin) 2016年9月22日
おやしゅみ! (ρω`)〜♡ pic.twitter.com/UcbDr6Stn1
最後に、セットリストを上げておく。
Curtain Call
Where the Wild Things
Please Breeze
Humpty Taxi
Good will Camping
Puppet Rapper
Curtain Call—「これはきっと大切な歌になる今日はきっと大切な一日」
Where the Wild Things—「今日はどれくらいの悲しみが染み込んだの」
Please Breeze—「今は少し未来は見なくていいや」
Humpty Taxi—「最後の最後で笑えるように それでいいよね」
160815 校庭カメラガールツヴァイ リリイベ最終日 at お台場ガンダム前広場
ライブが終わり、ファンが帰っていく。特典会はなかった。僕はただステージが片付けられていくのを座ってぼーっと眺めていた、大きな不安を感じながら。
「ツヴァイ」になってから、初の音源『Dis dear mounth of August』がタワレコ限定8月3日発売。この日までにタワレコを中心に5回のリリースイベントを行ってきた。この日は6回目のリリイベ、最終日だ。
この最終日に向けて気持ちを一番高めていたのは、間違いなくうぉーうぉーとぅーみー。僕の推しだ。「人生終わらせるぐらいの気持ち」と語っていた。
12日に行われたサワソニ*1では出番が終わった後に開場外で最終日に向けて作ったであろうビラを配っていた。内容はリリイベの日程と、2人の自撮りコラージュだ。
14日には2人で最終日に向けた企画の一環として、とぅーみーさん曰く「最初で最後」のツイキャスを開催。「#コウテカ2お台場」というハッシュタグを使ってファンからの質問に答えていた。
いよいよやってきた15日。ダイバーシティでのライブということもあって一般のお客さんも多い。アイドルのファン以外にも見てもらえる絶好の機会だ。
メンバーもいつもよりも緊張の面持ちで登場。ライブが始まった。
始まってすぐに異変に気付く。メンバーの声が、音楽がひどく割れている。そのうち直るだろう、そう思って我慢していたが一向に直らない。挙げ句の果てにガンダムが稼働するとのことで中断。メンバーもファンも気持ちを高めていたはずだ。出鼻を挫かれた気もするが、音を調整するにはいい時間になったかと思う。
再開。
音は多少マシになったかと思うがまだまだ割れている。そのままライブを続けるも音響トラブルに、ファンも乗り切れていないまま時間だけが経つ。
再びガンダム稼働のため、ライブが中断。
メンバーが相当気持ち入れていたであろう8月15日のライブ。ふたを開けてみたら音響トラブルに加えガンダムによる中断。ファンもいつも通りの盛り上がりとは程遠い、申し訳程度の応援しかできていない。
メンバーがかわいそう。
こんなことを思ったのは初めてだ。この日のためにビラを配ったりと頑張っていた推しはこのとき何を考えていただろう。無力感か、悔しさか、怒りか。
それまでの彼女が費やしてきた時間が空回りしているようで、悲しくなった。
再び、ライブ再開。まだ音響に違和感を覚えるが、一応は聴けるレベルまで回復していた。
〈Swallow Maze Paraguay〉の後に、〈Her L Bo She〉がかかる。ライブは〈TOKYO Terror〉 〈Last Glasgow〉で終了。最後の2曲はコウテカの持ち曲の中でもかなりのキラーチューン。モッシュが起き、〈Last Glasgow〉ではサビをファンが肩を組んで歌っていたりしていた。まるで今までのモヤモヤを、悔しさを、怒りを曲にぶつけるようだった。それぐらいに熱いライブだった。
この2曲のステージを観れただけでも、ここに来た価値があったと思った。メンバーが脱退し4人体制になってから、校庭火曜ショー*2やここまでの5回のリリイベで培った力が見えた気がした。最後にはファンを満足させるようなステージが見れて少しだがホッとした。
ライブの中断、音響トラブルのせいで特典会が中止。特典会振替イベントを後日行うこととなった。
ライブが終わり、ファンが帰りだす。しかし僕は遠くで座ったままだった。ファンが帰るのを、ステージが片付けられていくのをただ見ていた。僕は不安だった。
「自分にとって15日が分岐点になると思って、そこで燃え尽きて人生終わらせるぐらいの気持ち」
そう綴っていたのを思い出す。悪い方向にばかり考えていた。ちょうど14日にSMAPの解散報道がされたからだ。長年走り続けてきた国民的アイドルでさえもメンバー内の揉め事で解散してしまう。男性アイドル女性アイドルの違いはあれど、とても他人事に思えない。
よくないことばかりが頭をよぎり、非常にナーバスになっていた。
15日のライブの中で一番印象的だったのは〈Her L Bo She〉でとぅーみーさんが泣いたことだった。
夜が色を変える時はいつも同じ
君がいたんだ それに気付いたんだ
間違ってさ 何度も遠回りしてたけれど
きっと隣には幸せがあったんだ
前半はれめるちゃんのソロパート、後半はそこにとぅーみーさんが入って歌うところだ。
いつものライブでは、ここのれめるちゃんにはファンから名前のコールが入るが、とぅーみーさんのコールはない(ソロパートではないので)。
しかしこの日は違った。後半部、とぅーみーさんが入ったときに「れめる」のコールの中に、「とぅーみー」と呼ぶ声が聞こえた。それを聞いて、僕も彼女の名前を口に出した。精一杯、彼女に届くように。自分の声しか聞こえないから分からないが、もしかしたらいろんな人が彼女の名前を呼んでいたのかもしれない。
そのときの映像が自分の頭から消えない。
この日のこの曲の時には、何か不思議な力が働いていたような気がする。GOMESSというラッパーの昨年のワンマン*3から、不思議な力を持つライブに出会いたかった。僕がライブに通う理由の一つになっていた。ずっと出会えなかった。しかし今日やっと、それに近いものに出会えたような、そんな気がした。
「不思議な力」と書いたがそれは彼女自身の力なのかもしれない。Stereo Tokyoのファンからもとぅーみーさんは人気らしい。この日初めて来た人もいたはず。案外その中に「とぅーみー」と最初に声を上げた人がいるかもしれない。それは全く「不思議」ではない。
とぅーみーさん、あの日あの瞬間のすべてはあなたの実力だ。
この日の出来事が、彼女の涙を誘ったのかは分からない。
この日の出来事が、彼女にとってどんな意味で「分岐点」になったかは分からない。
しかし、この日を境に彼女が以前にも増して頑張ってるように見える(見せている)のは事実だ。
8月24日、新宿ロフト。
15日に中止した特典会の振替のためのイベントがあった。
60分間、いつも通りMCほぼなし、メンバーにセトリは伝えないノンストップのライブ。
そこには堂々とステージに上がる4人と、安心して彼女らを見る自分がいた。
(もちろん、音は割れないし、ライブを中断するガンダムはいませんでした笑)
2016年、8月15日。
お台場ガンダム前広場。
とあるアイドルがステージ上で涙を流した。
それを遠い過去の話にしたくなくて、このブログを開設した。
拙い言葉でもいい、残さなくちゃいけない気がした。
それがノスタルジーへと変わる前に。