それがノスタルジーへと変わる前に

「音楽やってる人はかっこいい アイドルやってるコはかわいい とか あれから何年が経ったんだっけ 時々自分がわかんなくて それすらも当たり前になって 久しぶりに君と話したいね なんて思ってる 電話はしないけど」

「あなた」と逃避行

最近、やっとコミュニティの力学が分かってきてまた一つ人間社会への適応の典型である「社会人」に近づけた気がする。

コミュニティにおいては、そのコミュニティに属する人々に向けて「私はこのコミュニティのルールに適応しようとしてます」みたいなアピールを新人としてすべき。おおよそ全てのコミュニティはそういう暗黙のルールに適応できる者を受け入れてきたわけだ。

これまでずっと、「人間社会において、詰まるところ、私とあなたしかいないんだ」という世界観で生きてきたので、複数の人々が属する「コミュニティ」という場所の力学というかルールに気づけたのは、自分にとって大きな成長だなと思う。

 


しかしながら、やっぱり一番強いのは「私」と、私という存在を直視する労力を割いてくれる他者(=「あなた」)なんだよな、と思う。

「社会人」に大きく近づいてもなお、「あなた」という、私を直視してくれる存在から離れられないでいる。

 

 

 

 


先日、関根ささらさんにひさしぶりに会った。会った、と言ってもオンラインでのやりとり、しかも僕から彼女に対しては文字のみのコミュニケーションだったが。

「チェキチャ」というアプリを介して、お会いした。

 


いざ、順番が回ってきて、開口一番、「こたろーくん!」と。彼女に名前を呼ばれると、心に火が灯る。暗闇に突然灯ったその火はあっという間に勢いを増し、心を沸騰させる。

自分の順番が来るまでは、購入した枠を捨てて、やっぱりお会いするのやめようかと迷っていた。話すことやら、あれこれ考えて、悩んで、心臓の鼓動がわかるぐらいに緊張して。オンラインであれど、特典会の列に並んでいるときと同じ感覚。ただ違うのは、僕がいる場所は自分の家であるということだ。改めて思い返すと、本来安心できる場所であるはずの自宅にいながら、あんなに緊張していた自分が滑稽に思える。

 


関根ささらさんの声を聞いて、少し前の悩んでいた自分が馬鹿らしく思えた。

 


好きな学者のプロジェクトに参加できることになった話をすると、自分のことのように喜んでもらえた。絶対に本の形になったらお送りしたい。

関根ささらさん。僕の中で間違いなく大切な存在で、自分の頑張りを見守ってくれている(気がする)ので、本当に活動を続けてくれていることを有難く思う。

(関根ささらさんの好きなポイントですが、「ありがとう」という柔らかい文字列じゃなくて、「有ることが難しい」という意味を強調して「有難う」と書くところです。彼女へのリスペクトを込めて「有難く」と書きました)

その、彼女が見守ってくれている感覚は、僕の中で勉強したり、論文やら小説(まだ書けてないけど)、こういうブログやらを書こうと思う原動力になっている。現場に顔を出さないにしても、僕は彼女の活動を微力ながら応援させてもらってるのは、彼女に対する恩返しみたいなところがある。

 

僕はこう感じるんだけれど、他のおたくはどうなのかな。他のアイドルおたくの人生、聞きたいね。 

 

 

 

 


関根ささらさんに、似たような感覚を感じるのは、文通相手氏だなと。ふと思った。

文通相手と会うとき、ありえないぐらいに緊張する。彼女とは長く続けてたバイトで、週一で行ってたヘルプ先で会って、それを含めると5年ぐらいの付き合いになる。

彼女が大学卒業する前、バイト辞める日にLINEを聞いた。飲んだり文通したりなんだりし始めて、2年半ぐらい経つけれど、未だに緊張する。というか、なんなら昔は会うときに緊張しなかった気がする。

 


家族や恋人、友人といったカテゴリーを超えた「他者」に惹かれるの、確実に関根ささらさんと文通相手氏の存在が大きくて、それから専門分野と日々の支援の対象である人々、そして僕と「あなた」という関係を築いてくれた過去出会った人々への感謝と責任によるものが大きいな。せっかく修士課程まで終了したので、仕事もやりたいことに近づきつつあるので、自分の出会った人々から得た感覚を、この社会に残していきたいね。

 

 

 

なんか真面目な話になっちゃったね。

仕切り直し。

 

 

 

 


今年に入ってから、漫画をよく読むようになった。好みの小説と一緒で、日常の延長にあるような、写実的かつ純文学的な作品が好きなんですね。

『雪女と蟹を食う』『娘の友達』『ひとりぼっちで恋してみた』は好きなんだけど、どれも逃避行という点で一貫していて、自分らしいなあと思っている。

 


自分も昔から「ここじゃない、まだ見ぬどこかへ行きたい」と思っていて、今の仕事も割と安定はしているけれど、定年まで続けるつもりはなくて、また違うところにいきたいなあと思っている。

 

 

 

 


関根ささらさんにお会いしたり、文通相手に手紙を書いたり飲んだり、そういうのって日常から逸脱した、自分にとってのささやかな逃避行なのかな。

 

 

 

 


「二人に感謝と愛を込めて」

みたいなあとがきで終わらせたくなるテンションのブログでした。

 


こうやっていつも斜に構えちゃうんだよな。

でも、「こたろーくんの文章好き」って言われたらまた読んでもらいたいからって、こうして書いちゃうぐらいには単純なんだけどね。