それがノスタルジーへと変わる前に

「音楽やってる人はかっこいい アイドルやってるコはかわいい とか あれから何年が経ったんだっけ 時々自分がわかんなくて それすらも当たり前になって 久しぶりに君と話したいね なんて思ってる 電話はしないけど」

可能性を閉じる

久しぶりに書く。今日は書くと決めたから、書く。

転職して、専門分野ど真ん中の、古い体制の残る場所にきた。職場と家はめちゃくちゃ近い。通勤時間なんか徒歩で数分。

引っ越しに恋人(便宜的にこう表記する)がきたため、職場の人間に恋人がいることが知れ渡ることとなる。

 


別にいいけど、いいんだけれど、その狭さに、息苦しさに、モヤる。

 

 

 

帰宅後に、ありあわせの食材で料理して、一人分の料理を作る(と言ってもかなり多めに作って、次の日の夜までその料理を食することになるのだが)。

食欲を満たした後に、勉強意欲、睡眠欲、執筆欲、創作欲が顔を出す。全てを同時に満たしたくなって、ぐちゃぐちゃになって、お酒を飲んで眠る。

そんな1週間だった。

 


今まではほぼ同棲してて、僕だけが引越してきた形になるのだが、離れてみると、LINEや電話をまめにしなきゃいけないのが面倒に思える。

どうやってコミュニケーションとっていたかすら、今はおぼろげだ。

 

 

 

新しい職場で、上司らのLINEを登録するにあたって、久しぶりにLINEを開いて「友だち」を開く。

こんな知り合いいたかと、最後の会話を見ると当時の記憶が蘇る。

 


その中に、苗字の変わった人がいた。なるほど籍を入れて苗字が相手方の苗字になったのだ。

 

 

 

 


中国では婚約式を行うそうだ。

 

 

 

 


人生とは、物語とは、進行とともに可能性を閉じていくものなのだ。

 


それが良いとか悪いとか、幸福とか不幸かとか、そういう価値判断をしたいわけではなくて、ただそれ自体を感じたまでである。