それがノスタルジーへと変わる前に

「音楽やってる人はかっこいい アイドルやってるコはかわいい とか あれから何年が経ったんだっけ 時々自分がわかんなくて それすらも当たり前になって 久しぶりに君と話したいね なんて思ってる 電話はしないけど」

「疑似恋愛」への後悔

2019年4月29日。改元まであと2日。改元と比べたら、些細な出来事に過ぎないけれど、僕にとっては改元よりもずっと大きな意味のある出来事だった。その出来事について、ここでは書き残す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


アイドルとファンの関係は疑似恋愛だ。

 

 

 

そう言われることがある。これは、現代のアイドルとファンの関係性を指摘する際によく言われることだ。

 


僕はこの考えに反発してきた。違う、僕は他のおたくとは違う文脈で好きだ。そう、心の中で唱え続けてきた。

それは、自分がそれまでおたく文化の文脈の中にいなかったこと、そしておたく文化の文脈とは距離を置いて、疑似恋愛でない、人間対人間の、一対一の関係を尊重してきたと、自分に言い聞かせるためだったと言える。

自分はおたくが忌避するところの陽キャラの文脈で生きてきた、だからおたくたちの文脈とは相容れないおたくなのだと、そう思っていたかった。

 


しかし、果たして私という人間は、「疑似恋愛」という、アイドルのおたく文脈の中にいない人間なのだろうか。

それを解き明かすためには、まずは自分にとっての「恋愛」について振り返る必要がある。

 


ここでは一般的に言われる「恋愛」には言及しない。それに言及するためには、先行文献に目を通す必要があるからだ。

私という存在とアイドルという関係を「疑似恋愛」という言葉を媒介に紐解くためには、世間一般で言われる「恋愛」よりも、私にとっての「恋愛」についての方が重大であるからだ。

 


僕にとっての「恋愛」というのは「物語と物語の交差」であると思う。

僕は傾向としては異性が恋愛の対象となる。

しかし振り返ってみると、性別はあまり関係ないように思える。きっかけはともあれ、相手の物語に僕は魅力を感じるからだ。どれだけ相手の物語を受け入れ、相手の築いてきた物語に強く「私」という存在を位置付けられるかが、それが僕にとっての恋愛の本質であると思う。

相手の物語を知るには、形としての恋人関係とは違う関係性を築く必要がある。「友達以上恋人未満」という言葉が象徴するように、恋人に満たない恋愛対象の属性を持つ者との関係を「友達」という関係で捉える傾向がこの社会にはあるが、僕にとってはその線引きは正直なところ、ひどく曖昧だ。「友達以上恋人未満」という言葉の線引きは、この社会では英語でいうところのloveとlikeとの差でなされる場合が多い。しかし、僕にとってはそれらを区別する決定的な事項がよく分からないでいる。

極論を言えば、その人の物語について詳しく知り、その人の物語の中で僕という存在を位置づけることができたならば、性別も年齢も超えて、誰とも恋愛関係を形成できると思っている。好きと思ってもらえれば、(そういう経験はないけれども)世間一般で言うところの恋愛(ここでは異性性と同年代性を持つものを指している)にとって決定的な性別や年齢という属性が欠けていても付き合えると思う。僕にとっての「恋愛」というのはそれだけハードルが低いものである。

 

そもそも論ではあるが、自分にとって「友達」「恋人」の枠組みはふさわしくなくて、マルティン・ブーバーが『我と汝・対話』で言うところの「我−それ」「我−汝」の枠組みの方がしっくりくる。しかし、ここでは混乱を承知で「恋愛」という枠組みを使う。しかし僕が指すところの「恋愛」とは実質的には「我−汝」の関係性であることは明確にしておきたい。

気力がないので、「我−汝」については説明をしないよ。読みたい人は読んでみてね。少し難しいけれど、「友達」「恋人」の枠組みに何らかのモヤモヤを感じる人にはなんらかの発見があると思う。

 


ここまで、僕の恋愛についての指向性、つまり一般的に言われる「友達」と「恋人」の境界の曖昧さについて解説してきた。

ここからは、とある映画と、その映画を介した、関根ささらさんのここまでの物語、そして今日の出来事について言及する。

 


僕は、ひどく自分を貶め続けた時期があった。あれは2014年、大学2年の秋の出来事だった。その時は毎日学校の授業や、部活の取材(大学の体育会系の部活動を扱うスポーツ新聞部だった)に向かう、駅のホームに立つ度に「電車が来たときに一歩踏み出せれば死ねるんだ」と思っていた。人生で一番、死が身近だった期間だと思う。今考えれば明らかにうつなんだろうと思うけれど、ちょうど同じ時期に、部活の同期がうつ病で連絡がつかない状態で、それもあってうつ病だと認めたくない気持ちもあり、休んだりできなかった。

その時に救いとなったのは『アバウト・タイム』という映画だった。この映画を観たから僕は死を希求する、感情の暴走を止めることができた。

 


『アバウト・タイム』を簡単に説明すると、タイムスリップできる能力を持った主人公がその能力を持ってして、自分の人生の後悔を取り戻そうと過去にさかのぼる映画だ。

 


この映画は、救われたいという藁にもすがる思いで観たとき以来、そのメッセージに心を動かされ、映画館で3回ほど観た映画だった。最初は小さい映画館でしか上映のなかった映画だが、徐々に上映館を広げていって、新宿ピカデリーのような大きな映画館でも上映していた。なかなか長い期間上映していた気がする。

今でも年に一回は観る映画である、それほど好きな映画だった。

だから、この映画には他のどの映画よりも特別な本当に思い入れがある。『アバウト・タイム』という映画なくして僕の人生は語れない、と言えるほど思い入れのある映画だ。

 


その映画を僕が2年前、つまり修士課程の学生としての駆け出しのときに、当時毎週のように現場に通っていた放課後プリンセスの関根ささらさんにDVDをプレゼントしたのだ。なんとなく、彼女の感性に合うような気がしたから。

その映画について、当時深夜のラジオに出演していた彼女が、与えられたお題について即興でトークをするという企画の際に彼女が言及してくれたのである。

僕は当時早朝のアルバイトをしていたのでリアルタイムでは聴けなかったのだが、アルバイトが終わった後にTwitterを見てみると、当時仲よくしてくれていた、推しかぶりのおたくが教えてくれたのは覚えている。その日彼女に会いに行って、その映画の話をしてくれたことについて話した。現場から家へと帰る前に行きつけの中華屋でその番組の録音を後で聴いて、心が震えた。

僕が彼女の感性をある程度知った上でオススメした、僕を救ったとまで言える映画について、彼女が「良い映画」として言及していたのである。「関根ささら」という好きな人の物語の中で、僕の救いとなった作品が強い光を持っているんだと。その事だけで、本当にそれまでの人生への後悔が消し飛んだ。

誇張なく、生きてて良かったと、心から思えた瞬間だった。

 

 

 

僕は大学院の研究やら、世間一般で言うところの恋人ができたことで、長らくアイドルの現場から遠ざかっていた。行くアイドルの現場といえば、大学時代の友人の行きつけの現場、そして恋人の好きなNegiccoの現場だ。年に数回現場に行く程度だった。

いつからか、自分の気持ち、つまり関根ささらさんを優先することはなくなっていた。自分の周りの人たちの興味を優先してきた。

 

 

 

そうして、最後の接触から約2年近く経った。

2019年4月29日。しばらく現場に自発的に通わなかった沈黙を破って、関根ささらさんに会いに行ったのだ。習慣とは恐ろしいもので、行くことを決めてもなお「帰るのもアリだな」と思っていた。しかし、そんな日常から離れて何かしらの言葉を持ち帰りたいと言う思いが、秋葉原へと足を運ばせた。

場所は秋葉原ソフマップ、2年前は毎週通った場所だった。8階まで辿り着く。いよいよ開演だ。

 

 

 

「あの暑い夏を また思い出して」

 

 


そう始まった曲は「アツはナツい!」だった。夏の淡い恋を回顧する曲だ。

そういえば、最後に関根ささらさんに会ったのは2017年の夏の個別の特典会だった。あの日は、太陽の照りつける暑い日だった。僕はボイスメッセージをお願いした。赤の浴衣を着た関根ささらさんが、もうすぐ誕生日の僕に、お祝いの言葉をもらったことを覚えている。

それを誕生日の日の朝に起きて、ベッドで聴きながら一人幸せな気持ちに浸っていた。

そんな日々を思い出しながら、ライブを観ていた。

 


2曲目は、「バカだね」という曲だった。

一曲目を観て、その歌詞と自分の物語を重ねて心が痛かった。やっぱりステージに立つ関根ささらさんは特別だと思った。気品あふれる笑顔は相変わらずステージを明るく照らしていた。ダンスも歌も格段に上達している。現場に通っていた当時とはメンバー構成も大きく変わっていたが、関根ささらさんは名実ともにリーダーに相応しかった。

忙しかったけれど、環境も変わったけれど、あれほど好きだった子に、なんで会いに行かなかったんだろう。そんな後悔に似た感情がぐるぐる頭を駆け巡った。

「失ってから大切だったことに気づくなんて、バカだね」というメッセージを持つこの曲に、自分を強く重ねた。

‎こたろーの「2019.04.29放課後プリンセス定期公演」をApple Musicで

 

 


現場から離れて、もはやおたくともほぼ縁のない普通の生活を送っていた。しかし、心に引っかかっていたのは関根ささらさんについてだ。

それは、環境が色々と変わってしまったゆえに疎遠になってしまい、自然消滅した恋人に対するような、なんとも表現し難い、気まずさと後悔が混ざり合ったものだった。「ごめんなさい」や「ありがとう」も、何も決定的なことを言えずにフェードアウトしたことによるモヤモヤしたあの感情だ。

それがアイドルのおたくなのかもしれないけれど、僕はこれまで推しの卒業以外で推しとの関係を切らせたことはほとんどなかったので、この感情への対処の仕方がわからず、ただ日々を過ごすしかなかった。

 


しかし、その心の引っかかりをどうにかしたくて、今日は秋葉原ソフマップへと足を運び、ライブを観て、関根ささらさんにお会いすることができた。

個別トークの時間は、本当に素敵な時間だった。それこそ、まさにこれまでの時間を取り戻すかのようだった。長らく現場に行かなかったからこそ出てきたであろう言葉が2人の間で交わされた。詳細は書かないが、彼女のくれた言葉は、僕の抱えていた、気まずさと後悔の混ざり合ったモヤモヤした感情を吹き飛ばすには十分すぎた。

僕はかつて、「関根ささら」という物語に寄り添い過ごした。しかし、同時に(たまたまであるが)彼女もまた僕の物語に寄り添ってくれたんだと、その時に改めて感じた。

僕の物語と、関根ささらさんの物語が、再び交差した瞬間だった。

そこには最初に出会って、認知してもらい、(推しとおたくとしての)関係を深めていく時のような勢いのある感情はない。穏やかな感情が二人の間には横たわっていた。「また会いに来て」「また会いにいくよ」と言葉を交わして、会場を後にした。

 


帰り道の電車の中で、似たような感情になったことを思い出した。高校時代にお付き合いしていた人と仕事後に会った。彼女もまた研究をしていて、お互いの研究のことを話していたが、最後には好きな小説について話していた。高校時代からお互いに趣味は変わっていなかった。お互いのこれまでの物語を確認して、「また会おう」と言い合い、それぞれの帰路に着いた。お互いが疎遠だった期間のことについて伝え合っただけの、穏やかな楽しい時間だった。

 

 


この感情に、なんの違いがあるんだろう。

たしかに、推しと恋人とでは明確に表面的な形として関係性が違うのは分かる。でも、根底に流れる感情にはあまり差がないのではないだろうか。

 


僕にとっての恋愛とは「物語と物語の交差」だ。そして、「相手の物語を受け入れ、相手の築いてきた物語に強く私という存在を位置付けられるか」というところに僕は恋愛の本質を見いだしている。

それを考慮したならば、僕にとっては「推しとの間で、恋愛関係を築いていた」と言えるのではないだろうか。

 


しかし僕と推しの表面的な関係性の形は恋愛関係とは異なる。基本的に、おたくは現場に足を運ばなければ推しとの関係性を継続できない。推しがステージを降りないかぎり、いつも離れていくのはおたくの側だ。アイドルとそのおたくの関係性においては、一般的にはアイドルの方に主導権があるように見られるが、実態としてはおたくの方がその関係性を継続するか否かの判断がある。おたくはアイドルよりも関係の継続という点では圧倒的に強い。

恋愛関係というのは一般的に2人の力関係が対等であるべきだ。それを念頭に置いてアイドルとおたくの間の関係性の継続における力関係の非対称性を見るに、やはりアイドルとそのおたくというのは「恋愛関係」とは呼べないんだと思う。

 


「疑似恋愛」なのだ。

 

 

 

 


僕は修士課程を無事に修了し、4月から会社で仕事をし始めた。

自己紹介をする機会が数多くある。

好きな映画を聞かれたときには必ず『アバウト・タイム』と答えている。

職場にある自己紹介のカードにも記載した。

その話をしたときには必ず、関根ささらさんのことを思い出す。

気まずさと後悔の混ざり合ったモヤモヤした感情は、もう胸に浮かんでこない。

 


ときに人は失敗し、後悔し、過去に戻ってもう一度やり直したいという気持ちになることがある。

しかし、現実にはそんな能力を持つことはできない。

人間が過去の出来事について、できることは認識を変えることだ。

その後悔やら失敗を、違う視点から見てポジティブなものへと認識を変容させることができる。

 


現場に足を運ばない期間があったからこそ、出会えた言葉が、感情が、あるんだと僕は思う。

 

 

 

 

 

 

 

 


「現場に足を運ばない期間があったからこそ、出会えた言葉と感情」を、長々とここに綴ってきた。

あとがきとして、この記事において見落としがちな前提があるので、ここではそれついて述べたい。

 


地下アイドルが活動している。多くが女性で、平均年齢は21.6歳。活動を始め「卒業」していくまでの年数は約3年だという。

「なんとなく」地下アイドルを選ぶ少女たち “やりたいことなんてない”と承認欲求のあいだ | ハフポスト

 

 

関根ささらさんが放プリユースに加入したのが2015年なので、4年間続けていることになる。

そして何より、メンバーの入れ替わりがある程度ある放課後プリンセスというグループで活動を続けているというのも特筆すべき点だろう。丁度世代交代なのだろうか、僕が2年前に通っていた頃のメンバーは関根ささらさん含め3人しか残っていない。

この2年で関根ささらさんは確実にお仕事の幅を広げたと思う。彼女の努力や仕事への想いが、彼女が長くこの仕事を続けているということに繋がっているし、それは今回ブログにした、僕が再び彼女に会いに行くことができたことの見えない前提として存在している。

 

最後に、関根ささらさんに言いたいことがある。

「続けていてくれて、ありがとう」と。

 

 

 

 


ブログを更新する前、気づいた。

思えば、平成最後の3日間は関根ささらさんのことばかり考えて過ごしていた。

いつか、平成最後の、この時期を思い返すことがきっとある。その時にきっと思い出すのはこのブログで書いた出来事なんだろうな。

 

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この間、数年間封印していた写ルンですを現像した。

2年前の関根ささらさん。