それがノスタルジーへと変わる前に

「音楽やってる人はかっこいい アイドルやってるコはかわいい とか あれから何年が経ったんだっけ 時々自分がわかんなくて それすらも当たり前になって 久しぶりに君と話したいね なんて思ってる 電話はしないけど」

我是外国人。

新宿三丁目駅の改札を出た。

23時を迎え、地下通路は一部通行止めとなる。地上へと向かう。

この時間に仕事を終え、帰るのは初めてだ。学生対応に苦悩しながらも、上司とうまくやれてる気がして、少し嬉しく思う。その勢いで、コンビニでお酒を買った。新宿駅東口から歌舞伎町への間の辺りでは、若者や若い会社員が缶チューハイ片手に談笑している。

 


満員電車はそうではないが、夜の繁華街が好きだ。知り合い、同僚、友人、恋人。様々なグラデーションの関係性を持つ人々が顔を赤らめつつする会話を盗み聞きすることによって、私の人生において全く関わらないであろう他者の物語を垣間見ている気がする。背徳感に似たノスタルジーを感じる。

僕は新宿の雑踏の中で、AirPodsの左耳を2回タップする。その行為は即ち音楽を一時停止することを意味する。新宿の街を彩る看板の光と、音楽が創り出す私だけの世界が崩壊する。音楽が止まったこの瞬間、私が世界に放り出される。上機嫌な声と、暑さによるものかお酒によるものかわからない火照った顔が知覚される。時々、日本語でない言語が耳に入る。英語、韓国語、中国語。

 

 

 

中国語。わずかな単語しか分からない。

第三国人(di san guo ren)”、中国とモンゴルの国境で繰り返し聞こえてきた言葉だ。そこは中国・内モンゴル自治区。中国の北側、モンゴルと接する場所に位置する地域、恋人の故郷だ。

今回、恋人を今の研究に導いた大学教授とその息子(30代)とともに向かった。その大学教授は中国人で、その息子も中国人である。

中国とモンゴルの国境を観光地としており、そこに入るには身分証明書が必要だった。仕方なくパスポートを提示すると「中国とモンゴルの国境であり、そこに関わりのない第三国の人(つまり私のことである)は入れない」というようなことが言われたらしい。僕はその中で「第三国人」だけ聞き取れた。

 


大学教授の息子はその人生の日本でほとんどの時間を過ごしているが、日常会話程度の中国語は話せる。中国語を話せないのは私だけだ。

 


中国に行き、私は恋人には苦言を呈された。「一度きたことあるのにお客さん、strengerみたい」と。

ああ、たしかにそうだなと思った。周りの人は中国語を話せて、恋人の親戚と話している中で、私だけが話せない。話せないし、中国人の行動様式(年少者がドアを開けておいて最後に退店するなど)もよく分からない(そもそも私は、そのような行動様式には懐疑的な人間である)。

たしかに恋人、恋人の家族や親戚からしてみたらそうだろうなと思うが、振り返ってみれば高校2,3年以降、どんなコミュニティにいてもそのコミュニティの慣習に溶け込めず、どこか異質で、浮いてるような存在だった気がする。

高校2,3年までは一般的に「陽キャラ」と言われるような存在だった気がしてる。何が自分をそうさせたのか、よく分からないが「陽キャラ」の暴力性というものに自覚的になり、そういう振る舞いができなくなった気がする。このことが、恋人に「一度きたことあるのにお客さん、strengerみたい」と言われた根源的な理由に思える。

それまでの16年を費やして形成した初対面との他者との関わりのルーティンが、暴力性を孕んでいることに気づいたとき、私は他者との関わりについての技能を持たない人間となった。それとなく他者に合わせ、自分から表現を行わない。周りが笑えば笑う、主張はしない。

はっきり言って、よく分からない、掴めない人間だろうと思う。それはその通りだ。自分自身、自分についてよく分からないし、どんなキャラなのか掴めていない。

 


そういった、キャラのようなものを自分からも他者からも固定化されずにフワフワしたまま、そのコミュニティに位置付けられるという経験を10年近くかけて何回かしてきた。だから、そうした自分にもコミュニティとして明確に位置付けられない、掴めない自己を含めて私という人間なんだろうと、今は思う。

 


そろそろ家に着く。汗を流して、早く寝よう。