それがノスタルジーへと変わる前に

「音楽やってる人はかっこいい アイドルやってるコはかわいい とか あれから何年が経ったんだっけ 時々自分がわかんなくて それすらも当たり前になって 久しぶりに君と話したいね なんて思ってる 電話はしないけど」

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【おたくについて】

何も参考にしていないが、一般的におたくの定義は以下のところかと思う。

①アニメやアイドルなどのサブカルチャーポップカルチャー)を嗜好する、又はある特定の分野に関して他者を圧倒する知識を持つ人、または集団。

②上記①から派生して、その集団が形成する価値観を持つ人

定義以前の問題として、〈otaku〉という音声にどういう表記を与えるか、という問題がある。「おたく」「オタク」「ヲタク」。僕は「おたく」という表記を取る立場だが、ここらへんをいつか整理したい。

 

【教養としてのアニメ】
ここ一年ぐらいは、過去のアニメを観ている。名前を聞いたことのある作品は、絵が好きでなくとも、観てみると面白かったりする。現在、アニメがおたく以外の人々にも広く受け入れらるものとなったわけだが、やはり創作物はその時代を反映していると言えるし、近い将来「ある程度主要なアニメ作品を知っている」というのは一つの教養となるんじゃないか、というような気がして、だから観ているというところがある。

supercellの「君の知らない物語」、それから花澤香菜の「恋愛サーキュレーション」は曲としては知っていたのだが、どちらも『化物語』で使われていたとは。

 

【会社という意味の場】

人生なんでもいいという、オールOKな人間なので、仕事だったりでみんなピリピリしたりするのがよくわからなかったのだが、なんとなく分かってきた。人生がそこにあるんだろう。

そこで生きていく覚悟を決めた人にとってはそこでの評価が今後の人生を左右する。

そういう場所は、なにかで給与をもらう人にとっては必ず存在するのだが、それが会社であるということか。スポーツ選手にとってはそのスポーツだし、研究者なら研究だし、それが仕事と言われればその通りなのだが、なるほどな、という発見めいたものがあった。会社で働くというのは給与をもらうという以上の意味がある。

 

【生活の中の音楽】

一般人の推しは、よく歌う。日常の中で出会った言葉にメロディをつけて、歌うのだ。彼女は歌うのだが、それが「歌」かと言われるとそうでもないような気がする。

僕は音楽が好きで、一人の時間はほとんど音楽を聴いて過ごしている。通学・通勤中、勉強中。好きな音楽はあれど、僕の生活の中に自分がメロディをつけて歌うということはなかった。既製の音楽を消費しているだけだった。

だから、彼女が会話の中で出てきた言葉などにメロディをつけて歌うことは僕には新鮮で、そして音楽とともに過ごしてきた自分は一緒にいて楽しく思う。彼女は作曲という意味で音楽を作ったりはしていないし、音楽関係の仕事をしていない。彼女の作るメロディはCMのような、耳にすると真似したくなるようなキャッチーなものだ。

僕は彼女が作る、その歌とも言えない歌が好きで、その日は一緒になって歌ったり、彼女が鬱陶しがっても歌い続けたりしているのだが、寝て起きるとすっかり忘れてしまう。そして彼女もまた、昨日自分で作ったメロディを忘れてしまう。

こうした儚さを帯びた一回性も、彼女の作る歌の魅力だったりする。