それがノスタルジーへと変わる前に

「音楽やってる人はかっこいい アイドルやってるコはかわいい とか あれから何年が経ったんだっけ 時々自分がわかんなくて それすらも当たり前になって 久しぶりに君と話したいね なんて思ってる 電話はしないけど」

KENT SPARK 5mg

学会発表を翌日に控えている。

仕事終わり、なんとか会場近くのホテルにたどり着く。昭和の香りのする、寂れたホテルだ。

このホテルの客室は、禁煙/分煙がスタンダードな令和元年に、全室喫煙可。

友人を思い出しても、タバコを数人は圧倒的に少数派。そんな平成生まれ平成育ちの僕には、昭和の香りとは、タバコと共にある気がする。つまりだ、この客室にはタバコの匂いが染みついているということだ。

 

午後11時。

柄の錆びた折り畳み傘を片手に、雨の夜道を歩く。僕の体格からして、明らかに小さいサイズの傘。ズボンも、うっすらと濡れている。目的地は、徒歩10分ほど歩いた先にあるコンビニだ。歩きながら、様々なことを考える。明日の発表のこと、職場へのお土産のこと、文通相手のこと。

 

ここで文通相手のことを思い出したのは、きっとタバコの香りのする部屋に泊まるからだろうなと、そう思っていると、お酒と共にタバコを吸いたいような気持ちになった。買ったのは、ちょっと遅めのお弁当、発表準備の作業用にエナジードリンク、文通相手の吸っているタバコ、お酒。700円の会計で1枚引けるクジは、ハズレだった。

コンビニを出て、傘を開く。片手に傘とコンビニのレジ袋を、もう片手で、スマホをいじる。iPhoneの画面に、“green line of death”は、もうない。

LINEの通知は100件以上溜まっている。企業アカウントの広告のメッセージを開く気になれず、こうして溜まっていく。だから、友人からの連絡に、気づかないことも多い。

 

文通相手の名前の横に、通知の①のマークが出ている。

文通相手に対しては、今年の夏頃に無配慮な言葉を投げてしまい、それに関しては完全に自分に非がある。それによって文通相手との関係も終わったと思っていたので、比喩でもなく、その通知を見たときには文字通り目を疑った。

「他に頼れる人もいないので」との前置きに、心が揺れる。

 

僕にとっての君はなんなのか、君にとっての僕はなんなのか。

文通相手に関しては、(「今後関わらない」という関係性も含む形で)関係し続ける限り、ここに向かい合わなければいけない。

これは個別的表面的関係における規範としての善悪の問題でなく、僕が性別役割を降りて他者と関係し続ける限りにおいて、向かい合わなければいけない。婚姻や家父長制を前提とした恋愛的な文脈に安易に流されたくねえぞ、そういう気持ちがある。

 

換気のために窓を開けると、冷気が入ってくる。もう、冬に向かいつつあることを感じる。

KENT SPARK 5mgを吸いながら、ブログを書いている。初めてこのタバコを吸った時は、むせていたのを思い出す。一年前の話だ。

我是外国人。

新宿三丁目駅の改札を出た。

23時を迎え、地下通路は一部通行止めとなる。地上へと向かう。

この時間に仕事を終え、帰るのは初めてだ。学生対応に苦悩しながらも、上司とうまくやれてる気がして、少し嬉しく思う。その勢いで、コンビニでお酒を買った。新宿駅東口から歌舞伎町への間の辺りでは、若者や若い会社員が缶チューハイ片手に談笑している。

 


満員電車はそうではないが、夜の繁華街が好きだ。知り合い、同僚、友人、恋人。様々なグラデーションの関係性を持つ人々が顔を赤らめつつする会話を盗み聞きすることによって、私の人生において全く関わらないであろう他者の物語を垣間見ている気がする。背徳感に似たノスタルジーを感じる。

僕は新宿の雑踏の中で、AirPodsの左耳を2回タップする。その行為は即ち音楽を一時停止することを意味する。新宿の街を彩る看板の光と、音楽が創り出す私だけの世界が崩壊する。音楽が止まったこの瞬間、私が世界に放り出される。上機嫌な声と、暑さによるものかお酒によるものかわからない火照った顔が知覚される。時々、日本語でない言語が耳に入る。英語、韓国語、中国語。

 

 

 

中国語。わずかな単語しか分からない。

第三国人(di san guo ren)”、中国とモンゴルの国境で繰り返し聞こえてきた言葉だ。そこは中国・内モンゴル自治区。中国の北側、モンゴルと接する場所に位置する地域、恋人の故郷だ。

今回、恋人を今の研究に導いた大学教授とその息子(30代)とともに向かった。その大学教授は中国人で、その息子も中国人である。

中国とモンゴルの国境を観光地としており、そこに入るには身分証明書が必要だった。仕方なくパスポートを提示すると「中国とモンゴルの国境であり、そこに関わりのない第三国の人(つまり私のことである)は入れない」というようなことが言われたらしい。僕はその中で「第三国人」だけ聞き取れた。

 


大学教授の息子はその人生の日本でほとんどの時間を過ごしているが、日常会話程度の中国語は話せる。中国語を話せないのは私だけだ。

 


中国に行き、私は恋人には苦言を呈された。「一度きたことあるのにお客さん、strengerみたい」と。

ああ、たしかにそうだなと思った。周りの人は中国語を話せて、恋人の親戚と話している中で、私だけが話せない。話せないし、中国人の行動様式(年少者がドアを開けておいて最後に退店するなど)もよく分からない(そもそも私は、そのような行動様式には懐疑的な人間である)。

たしかに恋人、恋人の家族や親戚からしてみたらそうだろうなと思うが、振り返ってみれば高校2,3年以降、どんなコミュニティにいてもそのコミュニティの慣習に溶け込めず、どこか異質で、浮いてるような存在だった気がする。

高校2,3年までは一般的に「陽キャラ」と言われるような存在だった気がしてる。何が自分をそうさせたのか、よく分からないが「陽キャラ」の暴力性というものに自覚的になり、そういう振る舞いができなくなった気がする。このことが、恋人に「一度きたことあるのにお客さん、strengerみたい」と言われた根源的な理由に思える。

それまでの16年を費やして形成した初対面との他者との関わりのルーティンが、暴力性を孕んでいることに気づいたとき、私は他者との関わりについての技能を持たない人間となった。それとなく他者に合わせ、自分から表現を行わない。周りが笑えば笑う、主張はしない。

はっきり言って、よく分からない、掴めない人間だろうと思う。それはその通りだ。自分自身、自分についてよく分からないし、どんなキャラなのか掴めていない。

 


そういった、キャラのようなものを自分からも他者からも固定化されずにフワフワしたまま、そのコミュニティに位置付けられるという経験を10年近くかけて何回かしてきた。だから、そうした自分にもコミュニティとして明確に位置付けられない、掴めない自己を含めて私という人間なんだろうと、今は思う。

 


そろそろ家に着く。汗を流して、早く寝よう。

人間を消費しないということ

前のバイト先の友人と、お客さん、そして僕の3人でバイト先の近くでご飯を食べてきた。昨年の春に始めたバイトだ。

帰路、昨年秋に聴いていた曲をまとめたプレイリストを聴いていた。通勤までの1時間、そして21時に上がってから家に帰るまでの1時間、聴き続けた曲たちだ。この季節もののプレイリストには自分が出会った曲を閉じ込めている。季節もののプレイリストを作り始めたのは「サマージャム'95」の影響かどうかは今となっては定かではないが、新しい季節のプレイリストを作りながら「夏用のテープとかはしっかり作るのよ」という言葉を思い出さずにはいられない。

話を戻して、季節もののプレイリストには自分が好きでない曲も入れている。例えば、フロントメモリーサイレントマジョリティー。神聖かまってちゃん欅坂46の曲だ。僕の中でこれらの曲はいい曲と評価しつつも、好きとまでは言えない曲である。

いつも文通相手と2ヶ月に一度ぐらいは飲むのだが、飲んだ後は決まってカラオケに行く。僕はラップを中心に、彼女は椎名林檎やら神聖かまってちゃん、48あるいは46系のグループの曲を歌う。この間行ったときには「私たち全然音楽の好み違いますね」と呟いていた。「だからいいんじゃん、多様性だよ多様性」と酔いながらも咄嗟に返したのをおぼえているが、彼女の歌っていた曲をその季節のプレイリストに忍ばせたりしているので、自分の返答は本音だったと言えるな、と今振り返りつつ思う。

 

 

 

最近はやり場のない感情に悩まされている。だからこうしてここに文章を書いているわけだが。

 

そしてブログを継続して読んでくださる数少ない人たちはお気づきでしょうが、やっぱり僕にとっては文通相手との関わり(つまり文通)が再開されたというのは大きい。そしてこの関係自体が「文通相手」を大きく超えた何かである。一年前は軽率にTwitterに書けるものであったが、いつからか「そういう形で表現することは関係性の消費であって許せない」という自己ルールができた。だからこうしてブログに書いている。これも自分の中で「許せない」関係性の消費の一種なのかもしれないが、ここまで見る人が限られているという点でTwitterよりも消費されにくいと思っている。

 

アイドルのおたく活動ができていないのも、この、人間を消費することに対する忌避から来ているんじゃないかと最近思うようになった。関根ささらさんはおたくがいうところの推しにあたるものだ。しかし今の現場に行かない、ツイートもしないというスタンスには、僕の中で関根ささらさんという存在がTwitterで安易に言及できるものでなくなった、つまり消費したくない、より特別ものになったということが大きい。僕がもっと彼女よりもはるかに年上だったら、あるいは彼女が僕よりもっと年上だったら長く現場に通ったりして続けられたかもしれない。でも同世代かつ本気で幸せになってほしいと思う女性を、女性性を煮詰めた象徴的存在としてのアイドルという形で消費したくないという僕なりの信念がある。そこを割り切れたらいいのだが、無理だ。めんどくさいおたくでごめん。東京コミコンの動画にコメント書いたり、グラビア掲載されている雑誌にハガキ送ったりしてるので、これでトントンということで折り合いをつけている。

 

話を戻すが、やはり文通相手に関しては特別……というと恋愛の文脈で手垢のついたような言い回しがありそのような文脈の言葉との誤解がありそうなので、他の言い回しをすると、他の出来事では代替できないような感情になる。僕にとって、文通相手との関わりは人間と人間が関わるということにおいて非常に本質的なことのように思える。恋愛、友情、家族の絆などの関係性を表す言葉の枠組みに当てはまらない関係。

むしろ配偶者や恋人(あるいはそれに類する関係)、友人、家族などという、人間と人間の関係性は多くの人間がそれらについての共通認識を持ち、それに基づいて存在していると言える。恋人なら、友人なら、家族ならどう振る舞うべきか。一定の答えのようなものがあり、それを逸脱しないようにして我々は他者と関係し、生きている。

むしろ「恋愛、友情、家族の絆などの関係性を表す言葉の枠組みに当てはまらない関係」を見つけるのは困難ではなかろうか。現実では先生、生徒、同級生、バイト仲間、先輩、後輩、上司、部下という言葉と役目が与えられるし、職場に行けば「家族構成は」「恋人はいるの」と聞かれる。インターネットに目を向ければ「友達」、「フォロワー/フォロイー」と規定される。関係性には初めから言葉が与えられることが多い世界に生きている。人は既存の言葉で表現できないものについて不安になるのか、次々と言葉が生み出される。セフレ、ソフレ、インスタ映え

自分もここ1年間、ずっと文通相手を言葉に規定しようとしていたことに気づいた。配偶者や恋人(あるいはそれに類する関係)、友人、家族などという言葉は全く違う。では何か。救済、違う世界線の恋人、違う世界線での自分。

不毛だった。

どれも間違っているようで間違っていないし、間違っていないようで間違っている。決定的な言葉は見つけることはできないでいる。彼女はあくまで彼女のままだった。

 

でも、文通相手とはなんなのか、何かしらの言葉をあててみたいという思いは今でもある。意味がないと分かっていながらも、文通相手とは僕の人生においてどのような存在なのかを位置づけたい。位置づけるためには文通相手について考え、彼女に関する言葉を生み出し続けないといけない気がする。

 

配偶者や恋人(あるいはそれに類する関係)、友人、家族などという要素を持たない、しかし深く関わる他者というのは、一体何なのか。

 

文通相手とは最低限のLINEのやりとり(飲む予定を合わせるなど)のみ、Twitterなども繋がっていない(もしかしたら見られているかもしれないが)。純粋に手紙と、飲む時のコミュニケーションのみだ。文通相手との関係は、他者と深く関わることの本質に向かっている気がする。

 

 

 

他者との関わりの本質は、消費やそれに似たものであってはいけないと思う。

 

 

 

文通相手と連絡がついて、文通を再開させてからというもの、こういったことを毎日考えているのでどんどん溜まってきて、お酒をのんだりすると、こうして書きたくなる。また感情になった時はここに書くと思うし、最近はこういうのを作品として昇華できたらな、という思いから、いつかこの行き場の無い文通相手への感情をもとに小説を書いてみようなどと企図している。ただ書くまでの道のりがよくわからないし、世界を描写するのは苦手だ。勉強あるいは練習しないと。

 

午前1時30分発山梨行き

先週、KIRINJIとYonYonの「killer tune kills me」を聴いていたとき。

「この曲聴きながら夜中にドライブしたい」と言うと、「じゃあ来週の木曜に行こうよ」と恋人は言った。

いいじゃん、決定だね、じゃあどこに行こう。近場だよね。じゃあ山梨にしよう。ほったらかし温泉っていう有名な温泉があって、この間観てた『ゆるキャン△』でも出てた温泉で景色が最高なので(早口)。

 

水曜日。仕事終え、実家で車を取り、3時間の仮眠を経て、山梨県への小旅行をスタートした。

国立府中インターから高速に乗る。道中、「学部の頃、お金がなくてこの道を通って自転車で大学に行っていたんだ」などと話していた。

高速では、大型トラックが僕らの乗る軽自動車をどんどん抜かしていった。

「危ないね。急いでないし、ゆっくり行こう」。

 

談合坂サービスエリアで休憩をするために車を降りる。深呼吸すると、少し湿った山の空気が肺を満たす。空はまだ暗い。フードコートは儚げに光る。深夜に運転するドライバーのため、フードコートは24時間営業だった。深夜のラーメン、カレー、すき家の高菜明太マヨ牛丼。どれもが魅力的に映る。募る食欲を自覚しつつ、「たくさんお菓子買ったもんね、大丈夫大丈夫」と言う。恋人に言うというよりも、自分に言い聞かせる、という方が正確かもしれない。

 

午前4時過ぎにほったらかし温泉に到着する。湯に浸かると疲れがどっと肩にのしかかる。ウトウトしながら、ぼーっと頭に浮かんでくるのは、将来のこと。

このまま修士での学びの延長を職として生きるか。このまま恋人と生きていくことになるか。

 

 

この間恋人と喧嘩したのを思い出した。

僕も彼女もお互いにイライラを募らせてそれを堪えようとしているが、互いに堪えきれず態度や言動に出してしまった結果、「もういい、別れる」と言い出す恋人に「落ち着こう、話そう」と諭す自分。“「別れないためにあるべき振る舞い」をする自分”を認識しつつ、「このまま別れたらどうなるだろうな」と冷静に考えていた。これは自己防衛の一種だった。

まずは恋人の家を出る。自分の家の電気と水道、そしてガスを契約し、開ける。家具はどうしようか。めちゃくちゃお金かかるなあ。きっと真っ先に文通相手に連絡取るだろう。

そこまで考えて、その先を考えるのをやめようと思った。

 

別に文通相手を今の恋人よりも好きとか、そういう話ではない。今の恋人の存在やら価値観には救われていることは多いし、本当に助けられている。

ここでないどこかに向かいたいという欲求、誰かの救いでありたいという欲求、恋愛とか結婚など多くの人間が前提としている価値観への抵抗が自分の中で強かったりするだけ。

文通相手の存在をこの世界に規定する言葉を見つけたいなと、今は思っている。

「前の会社の人とか、大学の友達とか、全部関わりは切ったけれど、連絡しました」という言葉を、引き受けていきたい。

自分の今いるこの場所を、世界線を、自分のものとして強く了解する必要がある。そういうことを胸に留めて生きていかなくちゃと思うわけだ。

 

 

そんなことを、湯船から甲府盆地を眺めつつ、考えていた。時折日が差したが、曇りでよかった。快晴だったら全身日焼けしていたに違いない。

午前7時になるころ、休憩室でウトウトしていたら恋人が戻ってきた。母国からの旅客がいて、嬉しくて女湯でずっと話し込んでいたという。女湯は5人ぐらいしかいなかったらしい。男湯は常時その倍はいた。

その旅客は家族4人で旅行に来ていたらしく、彼女と自分を含む6人で話していた。僕は彼らの使う言葉を分からないので、彼女に通訳してもらいながらコミュニケーションを取っていた。2009年まで日本で暮らして、今は彼女の母国の首都で暮らしているとか。もうすぐ大学生になる娘は日本語を独学で勉強していて、将来日本でデザインの仕事をして暮らしたいらしい。「日本は住んでいたとき(11年前)と街並みが変わらなくていい。落ち着く」と言われて、もちろん彼らは褒めてるのだろう。しかし選挙もあったことで敏感になっているからか、停滞的なこの社会、国への皮肉っぽくも聞こえて少しだけモヤモヤした。

 

その後は桃のパフェを食べ、次にほうとうを食べて帰路についた。「食べる順番逆じゃんね」と言いながら笑っていた。

16時に家に着き、シャワーを浴びて昼寝をした。20時に起きて、近くの定食屋で晩ご飯を食べて家でテレビを見たりした。カルピスは彼女の実家の地域にそのルーツがあるという。今度行くときに手土産としてカルピスを持っていこう。

 

心地よい疲労感を噛み締めながら、再び眠りについた。

再び地雷源を歩く

通勤時間が長い。二ヶ所のオフィスを移動しながら働いていて、遠い方まで自宅から行くとなると、2時間かかる。

土曜はその遠い方に行くので、2時間電車に揺られているわけである。土曜の朝は、急行電車もギリギリ座れるぐらいには空いているので、電車に乗ってる時間は苦ではない。本を読んでいたり、あるいはこうして文章を書いたり、手紙の下書きをiPhoneのメモに書き留めたりしている。

 

2ヶ月ぶりにブログを書く。


2ヶ月、連絡のつかなかった文通相手と連絡がついた。何かあったときに既存の人間関係を断つ人だったので、もう連絡つかないかなあと思っていた。そうやって人の関係が終わっていくのも、ある種の美しさを感じたし、深追いせずにいた。ある日突然連絡がきて、驚いた。放っておいたのが、結果的に功を奏した。

こうして、人に手紙を書くという日常が戻ってきたわけだが、これが自分にとって良いのかどうかは分からない。手紙書く以外に、たまに飲んだりカラオケ行ったりしてるだけでそれ以上の出来事(男女のあれこれ)はない。1年ぐらいずっとこういう感じ。時々人間同士の関係性の地雷源を歩いている気分になる。踏み間違えたら手痛い傷を負うような気もする。

 

仮に踏んでも、まあ、なるようになる。地雷は殺傷能力は低いので。

(そういうことではない)

 

 

 

最近は推しの学者ができて、岸政彦先生の本ばかり読んでいる。あの人の他者という物語へのまなざしや、繊細さに憧れる。生活史、自分が関心のある分野にも援用できる研究手法だし、自分の関心のある領域では未開拓の観点だからやってみたいなあという気持ちがある。

社会学に明るくないが、岸先生の活動はあの分野の主流から少し離れた場所に位置しているように見える。自分も大きくその分野を見たときにその真ん中でガンガンやっていくタイプではないことがもうすぐ25年になる人生を通じてよく分かっているので、似てるなあ、と思う。

(推しに近づきたいタイプのおたく)

 

 

 

関根ささらさん、東京コミコンの公式サポーターに就任されたので嬉しい。少し前の発表になるが、関根ささらさんは『黒と白の同窓会』という映画にも出演するとのこと。

ゆくゆくは映画に関わるお仕事をしたい、と聞いていた。徐々に自分の活動が好きなモノ・コトに近づいていくというのは本人にとっても、おたくにとっても嬉しい。

キャリアが積み上げていくという点で、似たような職種かなって思ったりする。推しがキャリアを積んでいってるんだから、自分も頑張らなくちゃということで、明日はずっと先延ばしにしていた、調査の分析と学会発表のエントリーを消化しよう。

(推しに近づきたいタイプのおたく)

 

 


今年の梅雨は長い気がする。

そう思って調べたが、関東甲信はおおよそ7月21日頃梅雨明けが発表されるらしいので、特に長いわけではないっぽい。去年の梅雨が短すぎた。

梅雨入り前は暑い日もあったのでベッドマット、枕カバーを冷感素材のものに変えた。しかし最近は気温も高くならないので、寝るときには長袖を着て毛布をかけるといったチグハグな環境で寝ている。長袖のシャツを引っ張り出して着て仕事に行っている。もう7月も半ば。

8月生まれなので、特にこれといってイベントがなくても夏はワクワクする。「寒さは防げるが、暑さはどうにもならない」とか言いながらも、どこかで夏の始まりを待ちわびている。

その季節に出会った音楽の中から特に好みのものでプレイリストを作っている。日々そのプレイリストを聴くことでその年のその季節の思い出やら感情をプレイリストに閉じ込める活動をしているのだが、もう夏用のプレイリスト作ってるので、早く暑くなってほしい。

 


朝書き始めた文章の続きを、帰りの電車の中で書き上げた。仕事始めてからあまりブログ更新していないが、こういう通勤時間の使い方も悪くない。

 

今日は最寄りに着いたらそのまま近所の神社でやっているらしい夏祭りに出かけることになった。全然夏祭りの天気ではない。

コンビニアイスのゴミ

これまでしばらく合わなかった人と会うことが最近多い。昔付き合っていた人、演劇で同じ仕事をしていた人、大学で一度授業が一緒だった人、高校で姉妹クラスだった人、合計で5人。2ヶ月で5人、しかもそれまで連絡等取っていなかった人とサシで飲んでいたのでなかなかすごいと思う。

 


大学職員やりながらアイドルのおたくとしてバンバン遠征行ってる人、6年制大学を卒業してそのまま博士課程に進んだ人、将来小さい定食屋をひらきたいと言う人、制服のおたく、会社員やりつつバンドマンやってて最近アイドルのおたくになった人。

自分の知らないところで他人が人生を歩んでいるということが当たり前のようだがとても美しく思える。その人にとっての物語があって、その物語は様々なことを抱えていて、それが目の前の人によって語られる。SNS等でなんとなく知っていた人がそうしてSNSに表出しない出来事、感情を語る。会うことのなかったこの数年感をお互いに埋めていくその時間は、僕ら2人が共有していたあの頃に戻ることはできないということを突きつけつつも、ノスタルジーをまといながら光り輝いているようで好きだ。

 


今日もまた、部活の同期たちと飲んだ。僕含め4人だったが、変わっていないという感想を持った。とてもありきたりな感想だが、ありきたりな感想だからこそいいのではないだろうかとも思う。

人はそれぞれ、その人だけの文脈に乗っかって生きていると思っている。だからしばらく会ってない人に会う度に見かけ上の諸々のは変わるけれど、「君はずっとあの頃の延長で生きているんだ」と思うんだよな。

 


今日の飲み会の話に戻ると、みんな先輩やら後輩やらの情報を仕入れていたり、上司として新人を指導してて尊敬している。僕が先輩やら後輩と会ったりしてないだけなのだが、上記の尊敬の念は根本で共通していて、それは自分が「先輩」「後輩」、「上司」「部下」みたいな、その社会でのすべき振る舞いをどうしてもできないという人間であるという部分である。本当にそういう社会に与えられる役割に、嫌悪感まではいかないけれども、それに似た「これは無理だ」という感情があってできない。というのも、たかだか生まれについて、数年の時間差で敬意を持たれたり持たねばならない文化がよくわからないのである。人は苦しみながら生きていくし、結局人生の行き着く先は誰もが一緒だ。「そういうもの(先輩へは敬意を持つ)」というのは文化なんだと分かるが、「それは本質か?」と問う自分も同時に存在している。その結果が僕という中途半端にしか役割を演じられない人間を生み出している。

その結果、自分を可愛がってくれる先輩も、強烈に慕ってくれる後輩もいない、フワッとした存在であり続けた。今思えば小学生の頃から先輩とかそういうのはできていなかったな。

今もそれは変わらない。奇跡的に営業とかそういった仕事をしなくていい仕事をしているが、世の中の営業をしている全ての人には頭が上がらない。あなたたちがいるから僕が営業をしなくてもいいんだ。自分は本当に営業というものができないと思うし、尊敬している。

 


こんな不適合な人間を呼んでくれた同期とか、サシで飲んでくれる人々、本当にありがとうなという気持ちになる。

 

 

 

今日は同期との飲み会で会計のお釣りで「みんなでアイス一つずつ買おう」というイベントが発生して、その時は良い提案だと素直に思った。

たしかにそこに学生時代を見た気がする。駅までアイスを4人で食べながら歩いていると「青春みたいじゃん、もうあの頃に戻れないけど」と一人が呟いた。コンビニアイスを咥えた仕事終わりの若者4人が、銀座駅に向かって歩くというそのコントラストがとても美しかった。

自分はみんなのゴミを持たされた訳だが(こういう役割は受け入れられる)、駅のゴミ箱に捨てられずにいる。きっと家まで持ち帰ることになるだろう。

 

 

 

このアイスのゴミは、青春の残滓だ。

 

 

「疑似恋愛」への後悔

2019年4月29日。改元まであと2日。改元と比べたら、些細な出来事に過ぎないけれど、僕にとっては改元よりもずっと大きな意味のある出来事だった。その出来事について、ここでは書き残す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


アイドルとファンの関係は疑似恋愛だ。

 

 

 

そう言われることがある。これは、現代のアイドルとファンの関係性を指摘する際によく言われることだ。

 


僕はこの考えに反発してきた。違う、僕は他のおたくとは違う文脈で好きだ。そう、心の中で唱え続けてきた。

それは、自分がそれまでおたく文化の文脈の中にいなかったこと、そしておたく文化の文脈とは距離を置いて、疑似恋愛でない、人間対人間の、一対一の関係を尊重してきたと、自分に言い聞かせるためだったと言える。

自分はおたくが忌避するところの陽キャラの文脈で生きてきた、だからおたくたちの文脈とは相容れないおたくなのだと、そう思っていたかった。

 


しかし、果たして私という人間は、「疑似恋愛」という、アイドルのおたく文脈の中にいない人間なのだろうか。

それを解き明かすためには、まずは自分にとっての「恋愛」について振り返る必要がある。

 


ここでは一般的に言われる「恋愛」には言及しない。それに言及するためには、先行文献に目を通す必要があるからだ。

私という存在とアイドルという関係を「疑似恋愛」という言葉を媒介に紐解くためには、世間一般で言われる「恋愛」よりも、私にとっての「恋愛」についての方が重大であるからだ。

 


僕にとっての「恋愛」というのは「物語と物語の交差」であると思う。

僕は傾向としては異性が恋愛の対象となる。

しかし振り返ってみると、性別はあまり関係ないように思える。きっかけはともあれ、相手の物語に僕は魅力を感じるからだ。どれだけ相手の物語を受け入れ、相手の築いてきた物語に強く「私」という存在を位置付けられるかが、それが僕にとっての恋愛の本質であると思う。

相手の物語を知るには、形としての恋人関係とは違う関係性を築く必要がある。「友達以上恋人未満」という言葉が象徴するように、恋人に満たない恋愛対象の属性を持つ者との関係を「友達」という関係で捉える傾向がこの社会にはあるが、僕にとってはその線引きは正直なところ、ひどく曖昧だ。「友達以上恋人未満」という言葉の線引きは、この社会では英語でいうところのloveとlikeとの差でなされる場合が多い。しかし、僕にとってはそれらを区別する決定的な事項がよく分からないでいる。

極論を言えば、その人の物語について詳しく知り、その人の物語の中で僕という存在を位置づけることができたならば、性別も年齢も超えて、誰とも恋愛関係を形成できると思っている。好きと思ってもらえれば、(そういう経験はないけれども)世間一般で言うところの恋愛(ここでは異性性と同年代性を持つものを指している)にとって決定的な性別や年齢という属性が欠けていても付き合えると思う。僕にとっての「恋愛」というのはそれだけハードルが低いものである。

 

そもそも論ではあるが、自分にとって「友達」「恋人」の枠組みはふさわしくなくて、マルティン・ブーバーが『我と汝・対話』で言うところの「我−それ」「我−汝」の枠組みの方がしっくりくる。しかし、ここでは混乱を承知で「恋愛」という枠組みを使う。しかし僕が指すところの「恋愛」とは実質的には「我−汝」の関係性であることは明確にしておきたい。

気力がないので、「我−汝」については説明をしないよ。読みたい人は読んでみてね。少し難しいけれど、「友達」「恋人」の枠組みに何らかのモヤモヤを感じる人にはなんらかの発見があると思う。

 


ここまで、僕の恋愛についての指向性、つまり一般的に言われる「友達」と「恋人」の境界の曖昧さについて解説してきた。

ここからは、とある映画と、その映画を介した、関根ささらさんのここまでの物語、そして今日の出来事について言及する。

 


僕は、ひどく自分を貶め続けた時期があった。あれは2014年、大学2年の秋の出来事だった。その時は毎日学校の授業や、部活の取材(大学の体育会系の部活動を扱うスポーツ新聞部だった)に向かう、駅のホームに立つ度に「電車が来たときに一歩踏み出せれば死ねるんだ」と思っていた。人生で一番、死が身近だった期間だと思う。今考えれば明らかにうつなんだろうと思うけれど、ちょうど同じ時期に、部活の同期がうつ病で連絡がつかない状態で、それもあってうつ病だと認めたくない気持ちもあり、休んだりできなかった。

その時に救いとなったのは『アバウト・タイム』という映画だった。この映画を観たから僕は死を希求する、感情の暴走を止めることができた。

 


『アバウト・タイム』を簡単に説明すると、タイムスリップできる能力を持った主人公がその能力を持ってして、自分の人生の後悔を取り戻そうと過去にさかのぼる映画だ。

 


この映画は、救われたいという藁にもすがる思いで観たとき以来、そのメッセージに心を動かされ、映画館で3回ほど観た映画だった。最初は小さい映画館でしか上映のなかった映画だが、徐々に上映館を広げていって、新宿ピカデリーのような大きな映画館でも上映していた。なかなか長い期間上映していた気がする。

今でも年に一回は観る映画である、それほど好きな映画だった。

だから、この映画には他のどの映画よりも特別な本当に思い入れがある。『アバウト・タイム』という映画なくして僕の人生は語れない、と言えるほど思い入れのある映画だ。

 


その映画を僕が2年前、つまり修士課程の学生としての駆け出しのときに、当時毎週のように現場に通っていた放課後プリンセスの関根ささらさんにDVDをプレゼントしたのだ。なんとなく、彼女の感性に合うような気がしたから。

その映画について、当時深夜のラジオに出演していた彼女が、与えられたお題について即興でトークをするという企画の際に彼女が言及してくれたのである。

僕は当時早朝のアルバイトをしていたのでリアルタイムでは聴けなかったのだが、アルバイトが終わった後にTwitterを見てみると、当時仲よくしてくれていた、推しかぶりのおたくが教えてくれたのは覚えている。その日彼女に会いに行って、その映画の話をしてくれたことについて話した。現場から家へと帰る前に行きつけの中華屋でその番組の録音を後で聴いて、心が震えた。

僕が彼女の感性をある程度知った上でオススメした、僕を救ったとまで言える映画について、彼女が「良い映画」として言及していたのである。「関根ささら」という好きな人の物語の中で、僕の救いとなった作品が強い光を持っているんだと。その事だけで、本当にそれまでの人生への後悔が消し飛んだ。

誇張なく、生きてて良かったと、心から思えた瞬間だった。

 

 

 

僕は大学院の研究やら、世間一般で言うところの恋人ができたことで、長らくアイドルの現場から遠ざかっていた。行くアイドルの現場といえば、大学時代の友人の行きつけの現場、そして恋人の好きなNegiccoの現場だ。年に数回現場に行く程度だった。

いつからか、自分の気持ち、つまり関根ささらさんを優先することはなくなっていた。自分の周りの人たちの興味を優先してきた。

 

 

 

そうして、最後の接触から約2年近く経った。

2019年4月29日。しばらく現場に自発的に通わなかった沈黙を破って、関根ささらさんに会いに行ったのだ。習慣とは恐ろしいもので、行くことを決めてもなお「帰るのもアリだな」と思っていた。しかし、そんな日常から離れて何かしらの言葉を持ち帰りたいと言う思いが、秋葉原へと足を運ばせた。

場所は秋葉原ソフマップ、2年前は毎週通った場所だった。8階まで辿り着く。いよいよ開演だ。

 

 

 

「あの暑い夏を また思い出して」

 

 


そう始まった曲は「アツはナツい!」だった。夏の淡い恋を回顧する曲だ。

そういえば、最後に関根ささらさんに会ったのは2017年の夏の個別の特典会だった。あの日は、太陽の照りつける暑い日だった。僕はボイスメッセージをお願いした。赤の浴衣を着た関根ささらさんが、もうすぐ誕生日の僕に、お祝いの言葉をもらったことを覚えている。

それを誕生日の日の朝に起きて、ベッドで聴きながら一人幸せな気持ちに浸っていた。

そんな日々を思い出しながら、ライブを観ていた。

 


2曲目は、「バカだね」という曲だった。

一曲目を観て、その歌詞と自分の物語を重ねて心が痛かった。やっぱりステージに立つ関根ささらさんは特別だと思った。気品あふれる笑顔は相変わらずステージを明るく照らしていた。ダンスも歌も格段に上達している。現場に通っていた当時とはメンバー構成も大きく変わっていたが、関根ささらさんは名実ともにリーダーに相応しかった。

忙しかったけれど、環境も変わったけれど、あれほど好きだった子に、なんで会いに行かなかったんだろう。そんな後悔に似た感情がぐるぐる頭を駆け巡った。

「失ってから大切だったことに気づくなんて、バカだね」というメッセージを持つこの曲に、自分を強く重ねた。

‎こたろーの「2019.04.29放課後プリンセス定期公演」をApple Musicで

 

 


現場から離れて、もはやおたくともほぼ縁のない普通の生活を送っていた。しかし、心に引っかかっていたのは関根ささらさんについてだ。

それは、環境が色々と変わってしまったゆえに疎遠になってしまい、自然消滅した恋人に対するような、なんとも表現し難い、気まずさと後悔が混ざり合ったものだった。「ごめんなさい」や「ありがとう」も、何も決定的なことを言えずにフェードアウトしたことによるモヤモヤしたあの感情だ。

それがアイドルのおたくなのかもしれないけれど、僕はこれまで推しの卒業以外で推しとの関係を切らせたことはほとんどなかったので、この感情への対処の仕方がわからず、ただ日々を過ごすしかなかった。

 


しかし、その心の引っかかりをどうにかしたくて、今日は秋葉原ソフマップへと足を運び、ライブを観て、関根ささらさんにお会いすることができた。

個別トークの時間は、本当に素敵な時間だった。それこそ、まさにこれまでの時間を取り戻すかのようだった。長らく現場に行かなかったからこそ出てきたであろう言葉が2人の間で交わされた。詳細は書かないが、彼女のくれた言葉は、僕の抱えていた、気まずさと後悔の混ざり合ったモヤモヤした感情を吹き飛ばすには十分すぎた。

僕はかつて、「関根ささら」という物語に寄り添い過ごした。しかし、同時に(たまたまであるが)彼女もまた僕の物語に寄り添ってくれたんだと、その時に改めて感じた。

僕の物語と、関根ささらさんの物語が、再び交差した瞬間だった。

そこには最初に出会って、認知してもらい、(推しとおたくとしての)関係を深めていく時のような勢いのある感情はない。穏やかな感情が二人の間には横たわっていた。「また会いに来て」「また会いにいくよ」と言葉を交わして、会場を後にした。

 


帰り道の電車の中で、似たような感情になったことを思い出した。高校時代にお付き合いしていた人と仕事後に会った。彼女もまた研究をしていて、お互いの研究のことを話していたが、最後には好きな小説について話していた。高校時代からお互いに趣味は変わっていなかった。お互いのこれまでの物語を確認して、「また会おう」と言い合い、それぞれの帰路に着いた。お互いが疎遠だった期間のことについて伝え合っただけの、穏やかな楽しい時間だった。

 

 


この感情に、なんの違いがあるんだろう。

たしかに、推しと恋人とでは明確に表面的な形として関係性が違うのは分かる。でも、根底に流れる感情にはあまり差がないのではないだろうか。

 


僕にとっての恋愛とは「物語と物語の交差」だ。そして、「相手の物語を受け入れ、相手の築いてきた物語に強く私という存在を位置付けられるか」というところに僕は恋愛の本質を見いだしている。

それを考慮したならば、僕にとっては「推しとの間で、恋愛関係を築いていた」と言えるのではないだろうか。

 


しかし僕と推しの表面的な関係性の形は恋愛関係とは異なる。基本的に、おたくは現場に足を運ばなければ推しとの関係性を継続できない。推しがステージを降りないかぎり、いつも離れていくのはおたくの側だ。アイドルとそのおたくの関係性においては、一般的にはアイドルの方に主導権があるように見られるが、実態としてはおたくの方がその関係性を継続するか否かの判断がある。おたくはアイドルよりも関係の継続という点では圧倒的に強い。

恋愛関係というのは一般的に2人の力関係が対等であるべきだ。それを念頭に置いてアイドルとおたくの間の関係性の継続における力関係の非対称性を見るに、やはりアイドルとそのおたくというのは「恋愛関係」とは呼べないんだと思う。

 


「疑似恋愛」なのだ。

 

 

 

 


僕は修士課程を無事に修了し、4月から会社で仕事をし始めた。

自己紹介をする機会が数多くある。

好きな映画を聞かれたときには必ず『アバウト・タイム』と答えている。

職場にある自己紹介のカードにも記載した。

その話をしたときには必ず、関根ささらさんのことを思い出す。

気まずさと後悔の混ざり合ったモヤモヤした感情は、もう胸に浮かんでこない。

 


ときに人は失敗し、後悔し、過去に戻ってもう一度やり直したいという気持ちになることがある。

しかし、現実にはそんな能力を持つことはできない。

人間が過去の出来事について、できることは認識を変えることだ。

その後悔やら失敗を、違う視点から見てポジティブなものへと認識を変容させることができる。

 


現場に足を運ばない期間があったからこそ、出会えた言葉が、感情が、あるんだと僕は思う。

 

 

 

 

 

 

 

 


「現場に足を運ばない期間があったからこそ、出会えた言葉と感情」を、長々とここに綴ってきた。

あとがきとして、この記事において見落としがちな前提があるので、ここではそれついて述べたい。

 


地下アイドルが活動している。多くが女性で、平均年齢は21.6歳。活動を始め「卒業」していくまでの年数は約3年だという。

「なんとなく」地下アイドルを選ぶ少女たち “やりたいことなんてない”と承認欲求のあいだ | ハフポスト

 

 

関根ささらさんが放プリユースに加入したのが2015年なので、4年間続けていることになる。

そして何より、メンバーの入れ替わりがある程度ある放課後プリンセスというグループで活動を続けているというのも特筆すべき点だろう。丁度世代交代なのだろうか、僕が2年前に通っていた頃のメンバーは関根ささらさん含め3人しか残っていない。

この2年で関根ささらさんは確実にお仕事の幅を広げたと思う。彼女の努力や仕事への想いが、彼女が長くこの仕事を続けているということに繋がっているし、それは今回ブログにした、僕が再び彼女に会いに行くことができたことの見えない前提として存在している。

 

最後に、関根ささらさんに言いたいことがある。

「続けていてくれて、ありがとう」と。

 

 

 

 


ブログを更新する前、気づいた。

思えば、平成最後の3日間は関根ささらさんのことばかり考えて過ごしていた。

いつか、平成最後の、この時期を思い返すことがきっとある。その時にきっと思い出すのはこのブログで書いた出来事なんだろうな。

 

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この間、数年間封印していた写ルンですを現像した。

2年前の関根ささらさん。